「もっかい聞いときたいんだけど、じいさんはあいつの相手が俺でも本当にいいのかよ」
「くどいのう、ワシは反対した事は一度もないじゃろうが」

その場所は、生命力の強い植物で満ちあふれていた。湿度が高いせいか濃い緑の匂いをはっきりと
感じる。
鮮やかな色の花が咲き乱れ、人工のものだが川まで流れていた。
本物としか思えない小鳥は博士の作ったロボットだと聞き、サイタマは感心しきりだ。

クセ―ノ博士の研究所に新たに増設されたラボ。
それは巨大な温室と対面になっており、仕切るのは防弾耐熱の超強化ガラスだ。それを通して双方の
様子がはっきりと見て取れるようになっている。
今も温室の真ん中に据えられたテーブルで茶をすする博士とサイタマの二人には、ラボで研究員に
囲まれ修理を受けているジェノスの姿が目視できた。

増築すると前に聞いてはいたが、すごいのを作ったものだ。
殺風景でいかんし、所員の休憩場所にもなるからのと博士は説明したが、一番の理由は修理やメンテ
の時、ジェノスの目を楽しませたいからに決まっていた。
ジェノスを孫のように大切にしているこの老博士には、さすがのサイタマも気を遣う。
今回は 『お宅のジェノス君を俺にください』 という用向きなだけになおさらだった。


「だいたいS級になってジェノスのランクを抜いてからだの、あの子が20歳になるまではなどと、勝手に
条件を設定したのはオヌシじゃぞ?ワシはそんな事言っとらんからな」
「あのなあ、親代わりのじいさんが考えてやらなくてどうすんだよ」
「考えてないと思われるとは心外じゃな。あの子の幸せを」

そういう意味で言ってんじゃねーよと言い返すサイタマは、ジャージの上下というダルダルの普段着姿だ。
その外見からは、彼の肉体に宿った超人的な力はカケラも窺い知れない。

以前、ジェノスとこの研究所にやって来た彼に体を調べさせてくれないかと頼んでみたところ、断られる
かと思ったが、アッサリいいよと言われた。
何故簡単に承諾したのかはすぐに分かった。何もないのだ。
データ的に突出したものはなく、薬物を使っているわけでもない。改造もしていない。
ただの普通の人間の体に、神のごとき圧倒的な力が存在している。

(おかしな男を見つけてきたもんじゃのう、ジェノスは…)
ラボで横たわり、楽しい夢でも見ているような白く秀麗な顔に目をやる。

彼が突然、師匠を得たその人と同居すると言い出した時は驚いたものだった。
明るい口調で 『先生が』 『先生が』 と尽きる事なく話してくれるその様子。
最初はジェノスの語る師の強さを何の冗談かと思ったが、自らサイタマを調べてみて、解明はできぬが
本物だと納得するしかなかった。

そんな謎の師匠・サイタマがある日一人でフラリと研究所にやってきた。
そして爆弾発言を落としたのだ。
『じいさん。俺ジェノスを好きになっちまったんだけど』 と。


「俺もS級になったし、偶然だけどあいつの誕生日も近いし、もうそろそろ言わねーとヤべーだろ。いつ
例の暴走サイボーグとやらが現れるか気が気じゃねーよ」
「あの子のことが心配かね」
「まあな。もしその時、俺が一緒にいてジェノスが死にそうになったら、俺はあいつに憎まれたってその
暴走なんたらをぶっ倒すつもりだからいいけどよ」

サイタマはお茶うけの栗まんじゅうをパクつきながら、淡々と語った。
これでもジェノスを好きだと気づいた日から、我ながらビックリするぐらい考え抜いてきた事だ。

「一人だったら、あいつは俺の事なんかその場で忘れて敵んとこへ行くな。そんで戦って勝手に死ぬ」
「サイタマ君…」
「早とちりすんな、じいさん。今のままだったらって話だ。俺はあいつの死体なんか見たくねーから、絶対
一人で行くなって言える権利がほしい。俺より先に死ぬなんて許さねーぞって言えるようになるには…」
「あの子と他人じゃなくなるしかないのう」
「ま、そういうこったな」

実のところ、サイタマがそういう意味でジェノスを好きだと思ったのはかなり早い時期だった。
人らしい暮らし方を忘れてしまっていたジェノスと最初こそは口論もしたが、元々頭がいいせいか彼は
すぐにサイタマの生活にピタリと寄り添うようになった。

(誰かと暮らすのって何年ぶりだよ…)
このおそろしく狭い空間で体の大きな男二人で住むとか、正気の沙汰じゃねえなと頭痛がしたものだが。
甲斐甲斐しく家事をこなし、買い物もパトロールも嬉しげについてくるジェノスが微笑ましかった。
自分を慕ってくれているのは丸分かりで、俺なんかのどこが…と思いつつもそれも何だか嬉しい。

一方で、気になっている事もあった。
ジェノスには目的がある。その為に強くなりたくてサイタマの元に押しかけたのだ。
なのにその場のノリで、弟子入りを認めるのと引き換えにヒーロー登録をさせてしまった。
そんなに家事ばっかやらなくても俺も一人暮らし長いんだし分担しようぜ?とも言ってみた。ジェノスの
時間は大幅に削られている。仇を探さなくてもいいのか。
他人に興味の薄いサイタマも、さすがに気が咎めるものがあったのだ。

だがそれとなく聞いてみたところ、ジェノスは先生に心配して頂けて嬉しいです!と熱く感謝した後で、
妙にしんみりした声でこう言った。
『大丈夫です。俺は先生の元で生活させていただいてヒーロー活動も続けたいです』
『けどよ、お前』
『今までがひどい生活すぎました。それだって先生に出会わなければ気づけなかった。闇雲に敵を探し
ても自分が消耗するだけです。S級ヒーローには特殊な情報も与えられますし』

先生と一緒だといい事ばかりですね、と弟子は言った。
その時だった。大して表情は変わらないのに 『あ、こいつ笑った』 と思ったのは。
かわいい、と感じてしまった。心臓がヘンな音をたてる。
途端に耳まで赤くなってしまい、ジェノスには不審がられるし誤魔化すのにメチャクチャ苦労した。
ヤッベ―何だこれ!?とツルツルの頭を掻きむしってみても、一度芽吹いたものは消えない。

階段を踏み外すぐらいの呆気なさで、好きになった。
男で弟子でサイボーグで未成年の相手をだ。まさに四重苦。その時から水面下でのサイタマの苦悩は
始まった。


「もうごちゃごちゃ考えんと告ればよかったんじゃ。要らん所が古風な男じゃの、オヌシは」
「じいさん、科学者のくせに何でそう当たって砕けろ論法なんだよ!?砕けんのは俺だからいいのかよ」

酔っ払いのような仕草で、サイタマはぬるくなった日本茶の残りをグイグイ煽った。
遠く見えているジェノスは、なくなった下半身の修復をもう完了していた。後は腕と細かい部分、そして
異常をきたしていた回路の調整だろうか。
もう一日か二日で起こすことになるはずだ。
(そんで20歳になるんだよな… 一日跨げば大人ってわけでもねえけど、俺はそれを待ってたわけで)

「まあ何しろオヌシがジェノスを好きになったのがめっっちゃくちゃ早かったからのう。あの頃まだあの子
の 『好き』 はそういう意味合いではなかったとワシも思うが…」
「めっっちゃくちゃ早くて悪かったな」
「ハハ…サイタマ君が親代わりのワシに配慮したり、ジェノスの気持ちが満ちるのを待ってくれたのには
感謝しとるよ。ただ最近のあの子はどうにも切なそうに見えてな。早く言ってやって欲しいと思ってしもうた」
「それは俺も同じだって」

好きな奴の幸せそうな顔が見たいなんて当たり前だ。
だが痩せても枯れても自分はヒーローだ。こうと決めた筋は通したい。

ジェノスが自分を好きになってくれたと感じてからは、何てことのない瞬間にも抱きしめたくなった。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのだ。ガマンするのもなかなか辛い。
けど、これが俺の考える 『大事にする』 ってことだからよ…とサイタマは眠るジェノスに語りかける。
少しだけ、あと少しだけだ、お互いに待つのは。


強くなってからは、刺激のないつまらない毎日だった。
手ごたえのある敵などいた試しがなく、それをワンパンで倒してしまいガックリしながら一人の家に帰った。
たまに助けた相手に感謝される事もあったが、その場だけだ。家族も友達も恋人もいない。
自分で言うのも何だが、不感症みたいな人生だった。

『お帰りなさい、先生!』
今は家に帰りつくと真っ先に弾んだ声が飛んでくる。部屋に明かりもついている。
それはずっと望んでいたような刺激やもの凄い充実感じゃない。
ふわりふわりと重なっていく温もりだ。
虚しくてカラカラ音がしそうだった心に、ジェノスが毎日惜しみなく降らせてくれるものがある。

『今日は鶏肉が安かったので親子丼にしました。味見をしていただけますか先生?』
『クセ―ノ博士に新しいパーツをつけてもらったんです。今度、手合わせして下さい先生!』
『先日先生に助けられたという人がお礼に来ました。わざわざ治安の悪いこの地区まで入ってきて』
『先生がどんなに素晴らしい人かバカな奴らには分からないんです…!先生がどれだけ多くのものを
守って下さっているか』

何で俺のことにそんな一生懸命なんだよと最初はその言動が理解できなかった。
他人だろ?と思った。
話し出したら長えし、押しは強いし、なんか世間知らずなとこあるし困った奴…と頭を抱えるのは今でもだ。

だけど嬉しかったんだろうなと思う。
今まで誰も踏み込んでこなかった場所にジェノスは来た。
彼を迷惑そうな顔をしながらも受け入れたあの日から、サイタマの日常は一人で完結しなくなった。
誰かを好きになるとか想像したこともなかったのに、そうなった。
生きていると何が起きるか分かったもんじゃない。だからやめられないのだ、猫も杓子も生きるのを。


「じいさんの大事な子、俺が貰うな。あいつの復讐とかそういうのはまた考える事にするわ。こういう
言い方、適当っぽいか?」
クセ―ノ博士が笑いながら首を振った。それが最終的なGOサインだった。
温室は陽の光で溢れ、ぽかぽかして気持ちいい。
テーブルまで飛んできた機械仕掛けの黄色い鳥が、食べかけの栗まんじゅうを嘴でつついている。

ここから見るジェノスは、森の奥で眠っているかのようだった。はやく目ぇ開けねーかなとサイタマは思う。
言えばどうなるか、何が変わるのかはまだ分からない。
だがワクワクする。それでいっか今は…と思えた。そんな感覚もずっと欠けていたのだ。

もうじれったいから、くすぐりに行ってやっかな〜そしたら起きんじゃねーのと半ば本気で考えたりしな
がら、椅子に座ったままで大きく伸びをする。
ここ数日、研究所に籠もっていたから運動不足だし退屈だ。
だがジェノスの目覚めと共に、何もかもが大きく動き出すことになるだろう。
地上最強のヒーローの出番はもうすぐだ。



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