Ending.


「これで霊は落ちましたが、もし調子悪かったら遠慮なく電話してください。ええ、はいじゃあどうも」
冷房のきいた部屋が生ぬるい外気に浸食されるのが嫌で、霊幻は笑顔でもって早々に客を追い出した。
アロマキャンドルを焚き、数十分もマッサージをすると暑くておかしくなりそうだ。
以前はあまり思わなかったが、俺も年をくったのかね堪えるわ…と汗の滲んだ額を押さえる。

(何か夏っぽいヒンヤリした除霊でも考えてみるか…)
相変わらず詐欺くさい思考を巡らしながら部屋に戻れば、何だろう小さな違和感があった。
ブラインドが外からの風に煽られてカタカタと動いている。
閉まっていたはずの窓は開け放たれ、外からの物音や子供のはしゃぐ声が混じり合いながら聞こえてきた。

窓際のデスクの横には、ひどく涼やかな印象の青年がひっそりと立っていた。
いや、まだ少年期を脱したばかりという危うさも少しばかりその面差しに残してはいたが。

水色の半袖ワイシャツ。白いサマーニットのベストにネクタイ。ダークグレーのパンツという制服は霊幻の目
から見てもかなり洒落たものだった。
そのへんの高校生でもイケてる風になりそうだ。コイツに着せたらもう手がつけらんねえだろ…と思う。

「……律、お前どっから入ってきてんだよ」
「恋のマンネリ防止策ですよ。それにしても超能力って本当に使い途がないですね。格好よくあなたの前に
登場するぐらいだなんて」
「いや、お前は玄関から入ってきたって目を瞠るようなイケメンだから」
「それはどうもありがとうございます」
「褒めてんじゃなくて、窓から入るのは格好いいのかよって話なんだけどな」

除霊と称したマッサージ中だったらしい霊幻はワイシャツ一枚でも暑そうで、新聞でバタバタと自分を扇ぐ。
律は小さく笑い、窓を閉めると、すぐそこの自販機で買った冷たい炭酸水の缶を渡してやった。
お、サンキューなと嬉しげに綻ぶ顔を見ながら、自分の分のプルトップも指で押しあげる。
プシュ、と少し中身が零れ出た。爽やかな真夏の音だ。


「そういや、こないだ言ってた子はどうだったんだよ。やっぱ超能力者だったのか」
「ああ…はい。テレパシストでしたね。一人で相当ストレスを溜めこんでたみたいで、竹中先輩にも来てもらって
色々話をしました。僕にはない能力ですし」
「そうか。俺にはよく分からんが、人の思考が頭ん中に流れ込んでくるなんて辛そうだな」
「白鳥兄弟ぐらいの力なら、便利だなで済むんですけどね」
「志方のじいさんも喜んでるだろうよ。その為に作った場所なんだしな」
「そうですね…」

あの事件の依頼人、志方友章が死んだのは今年の春のことだった。
結局、彼はあの家で一生を終えた。それが彼の選択だった。
そのために身内との間でどのような諍いが起こったか、それを律は知らない。見せようとはしなかった。
ただそれすらもあの老人の言う 『この世に残した仕事』 のひとつであったのだろう。

彼は志方家の当主であることを全うした。だが、最後の仕事はそれではなかった。
律と霊幻を介して多くの超能力者の存在を知った志方は、彼らの為に秘密の拠点をつくってくれたのだ。

「あのじいさんも最後まで精力的だったよなあ…」
「ええ。芹沢さんのように誰にも相談できず、一人で自分の力に苦しむ人を減らしたがっていましたからね。
立派な方でした…僕や兄さんだけでなく、他の能力者たち皆を気にかけてくれた」
「楽しかったんじゃねえかな。ずっと家と身内を守るばっかりの人生だったんだ。だけど血の繋がりなんか関係
なしで大事に思える奴らに会えて」

密裏と知り合い意気投合した志方は、共同で出資をして、調味市内のある建物を買い取り改装にかかった。
彼のアイディアで、その一階部分は一般の人も普通に利用できる広々としたカフェになっている。
店は密裏のやとった人間が運営しているが、二階と三階は超能力者とその関係者がいつでも気ままに集まり
交流できるスペースだ。

能力者はそうそう見つかるものではない。
一連の爪に関する事件があったから、周囲にやたらその手合いは増えたが、兄ですら初めて出会ったナチュ
ラルの超能力者は花沢輝気だったという。

だが、もしも存在が確認できたら、やんわり誘ってやれないだろうか。
まずは人がたくさんいるカフェスペースで話を聞けばそう警戒されたりはしないだろう。
気を許してくれそうなら二階に招いてもっと大勢で話をするのもいい。
そんな風に志方は言っていた。兄と律の間にあった事も彼はいつも興味深く聞いてくれたものだった。
『こういう事は強制できるものでもないが、一人じゃないと知れば心づよいんじゃないかな、律?』
もういない懐かしい人の声が蘇る。弱ってしまってもなお、その目は最後まで生き生きと輝いていた。

「僕には、物心ついた時もう兄さんという超能力者が傍にいました。だから能力が発顕した時も “一人ぼっち
だ” とか“この力は何なんだ怖い” とか全然思わなかったんですよね」
「なるほどな。その辺、お前は普通じゃないとも言えるわけか」
「だから何かしたいけど、相手の気持ちを分かってあげられるのかは不安で」
「クソ真面目な奴め。志方のじいさんは何もお前に強いたりはしなかったぞ」
「知ってます…でもあの人は僕にとっても特別な人だった。できる事はしたいんですよ」

だけどこういうのはテルさんみたいな話上手で明るい人が向いてそうですね…と溜息をつく律に、オイオイ
ほんと分かっちゃいねえな…と霊幻は唸り声をもらす。
(一人きりで悩んでたとこにお前みたいなのが手を差し伸べてくれたら、王子様だと思うに決まってんだろうが。
女子ならなおさらな!)
自分がモテる事に気づかないわけでもないだろうに、相変わらずの無頓着さだ。
何でもできるのにそれに大した値打ちを感じないのも昔と同じで、そんな律が選んだのが自分かと思うと無性
におかしくなってしまう。


「なあ律、答合わせに来たんだろう?」
ふいに霊幻がそう訊いた。少し照れくささもあり関係ない話をしていたが、それもここまでのようだ。

彼を見た。とりまく事務所の中は昔とさほど変わっていなかった。彼自身も。
律は炭酸水を一口飲み、缶をデスクにコトンと置く。
変わったとしたら、自分の背が随分伸びたことぐらいだろうか。
カレンダーに赤ペンで大きく印がつけてあるのに気づかされる。7月2日。
ここでバイトを始めた中2の夏から4年。そして大切な約束を交わした冬の夜からは3年半の月日が経っていた。

「結局、ここに戻ってくるんですね…」
「そりゃそうだろ。色んな事があった場所だからな。今でもちっこい律の姿が見えるよ。ツンツンしてる割に世話
焼きで、ちょっとつつくと怒ったり困ったりするから楽しくてしょうがなかったな。毎日ニヤニヤしてた」
「ほんっと嫌な大人ですよね、あなたときたら」
「けどそいつが俺の麻痺したみたいなココを揺さぶったんだろ。俺は生の感情を殺していたし、お前は感情の
出し方を知らなかった。触れる度に分かっていったんだ。ああこいつに恋してんだな…って」

不思議なもんだ、と霊幻は考える。
今日という日を迎えてしまうと、あっという間だったような気がした。
だがモブは今では大学生だし、芹沢も去年就職して色々あるが何とかやっているらしい。
自分だけが時の流れに取り残されたようにここに居る。それは予期できていた事だった。
誰からも置き去られるそんな未来が恐ろしくて、時期がくれば仕事を変えようと思っていたのも本当だ。

だが律が自分をどこへも行かせなかった。
何かを言ったわけじゃない。ただ、あなたがそこに居ることが僕には必要なんですと分からせてくれた。
昔と同じに、音もなく自分の傍に寄り添っていてくれた。
今日が終わればまた明日。明日が今度は今日と入れ替わる。
長かったはずの3年半、律は辛抱づよく無理に遠くを見ようとはしなかった。ただ細やかに愛してくれた。本当に
寂しいと思う隙間すらない、満ちたりた幸せな日々だった。


「この3年半、俺と別れようと思った事ってあったか?」
「自分がという意味ではないですね。でもあなたの為に別れるべきかと悩んだことはありましたよ。特にあの
お見合い騒動の時期は」

霊幻がウッと言葉に詰まったのを見て、律は面白そうな顔になった。
彼が30歳を越えてから、何も知らない母親が身を固めろとしきりに見合い写真を送ってくるようになったのだ。
もう過去の話だが、あの時は子供なりに苦しみ考え抜いたものだ。

付き合い始めた頃は、自分が早く大人になりさえすればいいのだと思っていた。
だが、彼は20代の終わりから30代の初めの大事な時期を、律を待つことに費やしてくれた。
親が結婚や家庭を持つことを勧めてくるのなんか、考えてみれば当然だった。
霊幻は見合いの話など一顧だにしなかったが、だからこそ自分が考えるべきではないかと思った。

「ええ〜…お前そんな思い詰めてたのかよ。別れてくれなんて言われたら俺トラウマになってたわ」
「まあ霊幻さんは全くその気なしという態度でしたもんね。でも僕は、あなたの人生を台無しにするんじゃない
かって怖くなったんです。昔あなたが僕にそう言っていたように」

「でも言い出さなかったよな。結局どう折り合いつけたんだ?」
「僕がこんなに好きなのに、あなたを大して好きでもない女性に何で譲らなきゃならないんだと思いまして」
「律くんかっこいい…」
「霊幻さんの為になんて欺瞞だと気がついたんですよ。だってあなたは僕を好きじゃないですか。他の幸せが
どこにあるって言うんですか」
「だよな。もう俺、お前のそういうとこほんと好きだわ」
「でも、悩んでいたのも本当ですよ…」
「うんけどな、そういう時は素直に相談してくれよ。お前が辛がってたと思うとたまんねえから」


色んな事があったにせよ、僕らに答合わせは必要なさそうですね…と安心したように微笑む律を、ある種の
衝動にかられ、霊幻はふいに抱き寄せていた。
以前は腕の中にすっぽり収まっていたのに、身長ももう6〜7センチしか変わらない。
まだ細い体を抱くと、肩にそうっと頭がもたせかけられた。照れているのか少し耳の先が赤い。

そんな急いで大人にならなくていいんだと思うが、背伸びをしてでもそうあろうと望む律は美しかった。
昔俺が夢見たよりもずっとな…、と霊幻の胸はなつかしさと喜びとに疼く。
あの頃は考えもしなかった。自分が本気の恋をすることも、その恋が長く未来へ続いていくことも。

「こうやって抱きしめる度にさ、お前が大きくなってくのが分かった」
「そういえば、最初は立ったままじゃキスもしにくかったですもんね」
「だよなあ、でも俺は腕の中に収まるサイズのお前もすげー好きだったけどな」
「ごめんなさい霊幻さん……僕を長い間待たせてしまって……」
「何でもねえよ、これぐらい。どんな思いをして手にいれた恋人だと思ってんだよ」

口に出さずとも、この人も多くの苦しい思いを抱えてきたはずだ。
二人の年の差は縮まるものではなかったし、先をゆく霊幻の方がずっと不安だったのではないかと思う。
それを埋める為にもっと深く触れ合うことさえも、自分たちは許されていなかった。
なのに何でもなかったと彼は明るく笑うのだ。
あの頃と少しも変わらない。うさん臭くて口ばかりが達者、器用なくせに不器用、そして誰よりも温かい。

同じだけの強さでもって、自分を抱く人を律は夢中で抱き返していた。
感情が生き物のように脈をうつ。自分という入れ物になんか収まらない大きな大きな大きなうねり。
一生誰も好きになれないんじゃないかなんてもはや過去の笑い話だ。幸せな涙で世界が揺れる。

「僕は…!あなたを、」
「んん〜?なんだよ、律?」
「何だろう……もう多すぎてわかんないんです。好きじゃ足りないし、大切も、苦しいも、笑いだしたいのも、
わあわあ泣きたいのも、大声で叫びたいのも、それってみんなあなたのせいなんです」
「知ってるよ。俺だってそうだよ。だからどこ探してもな、お前しかいないって思い知らされるんだ」

美しいものも醜いものもすべては己の中にある。それが認められず苦しんだ幼い日の自分が見えるようだった。
泣くなんて抑制の効かないみっともない事だと思っていた。
だけど彼が言ってくれた。もっと気持ちを外に出せよ、お前はもっと泣いていいんだよと。
(だから僕は泣く。“幸せです” と赤ん坊のように声をあげて……)

霊幻の温かな両手が頬を包み、止まらない涙をぬぐってくれる。言わなくちゃ今、と律は澄んだ瞳をあげた。
愛していますとどうか伝わりますように。
僕も…ともう一度唇を動かせば、霊幻がその目に他の誰にも見せない愛情を湛えているのが分かった。

律は、声をあげた。
自分の名に相応しい、誇り高さをもって。
美しい音色を、恐れげもなく、混沌とする世界へと響かせていた。
どうか伝わりますように。
「僕も、14の年からあなただけでした」




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