案内された離れは内装も和風のもので、二人は高級日本旅館に来たような気分にさせられた。
大きな部屋には洒落たデザインの掘りコタツがどんと据えられていて、足を伸ばして座れるし暖かい。

霊幻と律には、そこに夕食が届けられた。
和食中心であったが、客が若いのを考慮してくれたのか、肉も魚もふんだんに使われている。
片道2時間もかけてやってきたし、さっきのアップルパイ程度では空腹を紛らわすだけの効果しかない。
二人はしばし仕事の事も忘れ、向かい合って食事に専念した。

コタツだけでも充分だが、どういう仕組みなのか部屋は眠くなるような暖かさだ。
山の上にいると感じさせない。だが雪こそ降っていないものの、外は凍りつくような気温なのだろう。
(まあ快適っちゃ快適だけどな。まさか個室を用意されるとは……誤算だったぜ)

歓迎されていない客などまとめて一部屋に押し込まれると思っていた。
別に何かしようという訳ではないが、律と同じ部屋で寝られると決めこんでいたのだ。
せっかくの出張だ。それぐらい期待しても許されんだろ、という霊幻の下心は木端微塵にくだかれた。
実は律の方も同じ事でガッカリしていたのだと知れば、かなり幸せになれたのだろうが、あいにく二人ともが
ポーカーフェイスすぎて全く進展には繋がらなかった。

「あ、これすごく美味しいですよ」
律がザルにあげられたおぼろ豆腐のようなものを木匙ですくって食べている。中学生男子が食いたがるものなど
肉と米とカレーだけかと思っていたがどうやら違うらしい。
「お前、食いもんの趣味けっこう渋いな。じいさんかよ」とからかうように笑いかけると、足を軽く蹴られた。
お、これはなかなかいいんじゃねーか、と霊幻は掘りコタツの存在意義を根底から見直す。

食事の前に上着を脱いでネクタイも外してしまった。
酒は普段大して飲まないが、つけてくれた熱燗をちびちびやりながら、律が緊張のほぐれた顔で食事をするのを
見ている。
たまに、ぽつりぽつりと好きな食べ物の事なんかも聞いてきた。
非日常の場で見る律はいつもより少し幼くて、言えば怒るかもしれないがコイツまだ14なんだよなあと思う。

「お酒っておいしいですか」
「んん?そうだな、俺も最初はあんまり美味いと思わなかったぞ。だいたい強い方でもないし」
「そうなんだ…コーヒーみたいなものかな」
「ああ苦いけどだんだん好きになるよな。でも楽しい酒はいいもんだから、いつか飲みに行こうぜ、律」
「えっ僕、それまで霊幻さんと付き合い続いてるんですか。やだなあ…」
「なにお前、それ冷たすぎねえ〜?」
「冗談ですよ。じゃあ最初に飲みにいく時は、僕が霊幻さんに奢ります」
「なっまいき…高いのばっか飲んでやるかんな…覚えてろよ」

少し笑って「覚えておきます」と律は言った。生真面目な性格だ、絶対忘れたりしないんだろう。
その頃になれば、熱に浮かされるようなこの想いは消えてしまっているだろうか。
好きだと言うことも許されなかった恋を肴に酒を飲む日には、律はどれほど美しくなっているだろう。

(誰かのもんになってるか、そん時は…)
ぬるくなった杯をぐいとあおると、胃が焼けるように熱くなった。
大人はこうやって、どうにもならない事を酒と一緒に飲みくだすんだよ…と心の中でだけ語りかける。
だが、そんなのはまだ知らないでいい。年を重ねることに憧れていてほしい。
どんだけ俺はコイツに夢見てんだか…とおかしくもなったが、それがありのままの気持ちだった。



デザートのぶどうゼリーの最後の一口が消えた時、室内の温度が急に下がったような気がした。
律は黒目がちな瞳をあげると、入ってきたものを警戒心もあらわに睨みつける。
彼はひらひらと手を振ると笑った。だが先刻、あの重そうな壺で攻撃してきたのはこいつに違いない。
霊幻には見えない分、自分がきちんと見極めなければならないと思う。

「来ましたよ、霊幻さん」
「おう。ちゃんと食事が終わるまで待ってくれるとか紳士的な霊だな。あ、男だったか?」
「ええ。若い…20歳すぎぐらいの外見の男性ですね。品がいいっていうか、きれいな顔立ちの」
霊幻がまずいものを食ったような顔をした。訳が分からず律はきょとんとしたが、続けて情報を伝える。

「なんかこう、あなたとは違う意味で食えないタイプって感じです。さっきからずっとニコニコしてるのも、なかなか
図々しいなあと思うし。僕らに壺をぶつけたくせに」
「お、おう。まあ事情も聞かずにそう決めつけてやるなよ。霊にも居住権はあんだろ」
「ふーん、闖入者はこっちの方だって事ですか。僕は今すぐ除霊しちゃいたい気分ですけど」
「てか、除霊できそうな相手なのか」
「力はそう強くないですね。単なる地縛霊かな。ただ頭は良さそうだから油断したくないだけです」

とりあえずちょっと話をしてみますと霊幻に断ると、律は男の霊に向き直った。
彼はおどけたように両手をあげ 『いきなり除霊はしないでくれると嬉しい』 と言った。

「いきなり物理攻撃してきた人がよく言いますね」
『僕もまさか本物が来るとは思ってなかったし、結界を破られてビックリしたんだよ。それに君の施した防御も見え
てた。脅したら帰ってくれないかなぐらいの気持ちだったんだ。ごめんね』
「まだ全然信用はしてませんけど」
『用心深いなあ。自分のためと言うよりその人のため?彼から霊力は感じられないけど』
「この人にはこの人にしか出来ない事がちゃんとあるんで、大きなお世話ですよ」
『わかったわかった。交渉相手をあまり怒らせたくはない』

律はふーっと長く息を吐き出した。言っている事とはうらはらに頭の中はしんと冴えている。
この男も自分のペースに他人を巻き込むのが得意そうだ。のせられたらいけない。それにしても。
(ああいやだなあ…きつい態度とってるとこ霊幻さんに見られるのは)

本来の性格はそうそう変わるものではないが、好きな相手にはやはり良く思われたいものだ。
だからこの半年、律は霊幻に対してなるべく素直に接するよう心がけていた。
うまくできていたのかは分からない。でも、可愛げがない自分を変えたいというのもあった。
仕事だから仕方ないが、地道に積んできたそんな努力が水の泡になりそうで少しばかり気分が落ちる。


「あなたは志方家の人ですか。ご先祖さま?」
霊幻の目には何も映らない空を見据えて、律がよく通る声で訊く。
会話の中身は律の言葉からしか推し量れないが、自分のことを言われて反論したのが分かった。
(俺に霊力がないとか言われたのか…?)
そんな事で怒ったり庇ったりしなくていいんだぞと思うが、感情を露わにする律は好ましかった。
最近ずいぶん素直になったような気がするが、火花が散るような怒りもまたこの子らしいと思う。

「……えっ、お兄さん?どういう事ですか、そんなの聞いてませんよ」
「律?どした」
掘りコタツの中でとんとんとジーンズの足をつつくと、律は困惑した顔つきでこちらを見た。

「お兄さんだそうです、依頼主の……志方さんが18の時に亡くなったとかで享年は23歳。名前は志方睦」
「はあ!?マジかよ。なんであのじいさん、さっきその話をしなかったんだ」
「僕らをまだ試してるんだろうって言ってます。何らかの霊能力があるのは確認できたけど、そこからはまあいい
加減な事だって言えますしね。自力でどこまで真相に迫れるか観察してるのかな…」
「っかー…気持ちよく騙された方が幸せなこともあんだけどな」
「別に騙すつもりなんかないし、めったな事を言わないでください霊幻さん」

だからいつもうさん臭いって言われるんですよと律に窘められる。
そういえばそうだ。モブという本物の超能力者を使っている超良心的な事務所なのに、何故こうヘンな目で見られ
がちなのかと思っていたが、自分の言動も少々難ありなのか。
口先と力づくで何でもポイポイ解決してきたので、あまり深くは考えなかった。
(だけど、そこを気にすんのが律らしいっつーかなぁ…)


それからは、ある程度の区切りまで話をしては、律が霊幻に内容を伝えるという流れになった。
依頼主の志方友章は、要するに繰り上がり長男だったわけだ。
大地主の長男として育った兄の睦は、そのすべてを受け継ぎ運営し分配できるよう教育されていた。
ところが彼は23歳の時に病に倒れ、あっけなく逝去してしまう。

「下の弟さんたちはまだ子供。友章さんも18歳だった。なのに突然何もかもがあの人の肩にかかってしまった…」
「志方も兄貴の補佐をするよう教育はされてたにせよ、自分が家長になるのは想定外だったんだろな」

この土地と屋敷を見ただけでも、志方家の総領になるとはどういう事か容易く想像できる。
しかもこれらはすべての財産を身内に分配した云わば『最後の残り』なのだと老人は言った。二十歳にも満たなか
った彼は兄を失った時、どれほど焦ったことだろう。
父親が生きているうちに、はやく、はやく一人前にならねばと考えたに違いない。

「金持ちってのもラクじゃねえな〜」
「ほんとに。ほどほどが一番ですよ。あの人が慎重なのは色んなものを必死に守ってきた名残りなのかな」
「律くん、ちょっと同情してる?」
「同情とか言うと一気に安っぽくなりますね。でもまあ、僕も弟だから少しは」

『律にもお兄さんがいるのかい?』
「ええ。兄さんは僕なんかよりずっと凄い超能力者です。霊幻さんの仕事も本当は兄が手伝ってて」
『君の力だって充分すごいと思うけど』
「どうかな…僕は何だかいつまでたっても中途半端で」

双方と会話をしつつ意思を疎通させるのは、かなり骨のおれる仕事だった。
霊幻は察するのが上手いし心配ないと思うが、律はだんだん疲弊してきた。早目にこの霊の考えを聞き出し、
方針を固めたいと思う。
睦さん、と呼びかけた。
そちらに集中しすぎていた律は、霊幻のどこかが痛むような顔つきに少しも気づかなかった。

「あなたは亡くなってからずっと、弟さんとこの家を守ってきたんですね」
『そう。ずいぶん長かった…僕は生きていたらもう100歳も近いような年だし』
「この家と土地を身内の人が狙ってるのは僕らも聞きました。腹をたてたあなたは外部の者を締め出した。志方
さんもそれに乗じて籠城をした。きっとあなた達には、思い出の多いこの家が何より大切なんでしょう」

簡単に誰かのことを分かるなんて言いたくはない。そんなのは傲慢だ。
だが律は、自分の声に少し感情がこもりすぎているのに気づいていた。
いつも霊幻が言う。 『同調しすぎたら身が保たねーぞ』 と。それも理解できる。だけどそれでも。

エクボやこの霊のように、時に普通に会話が成り立つ者と出くわしてしまうのだ。
そして彼らにもまた望みはある。それは生きた人間とどこがどれほどちがうのだろう。
自分には力があった。他より少しだけ融通のきく力だ。
その分、どうしたいか聞いてやれたらと思うのは子供の甘い考えだろうか。これは同情なのか。


「あなたの望みはなんですか。弟さんではなくあなた自身の」
70年もの長きに渡りこの家の営みを守り続けてきた霊は、静かに寂しげに律の目を見返した。

今もう、その何もかもが終わろうとしている。
家長である友章が死ねばこの家は売りに出されるだろう。あるいは取り壊されゴルフ場にでもなるか。原型をとど
める可能性は低いように思われた。
死んでまで持っていける物なんか、ひとつもないのだ。
その人にとってどんなに大切でも、現の世界においてものごとは忙しなく流転してゆく。
変わり朽ちて消える。そしてまた新しく生まれいずる。あるいはそれを輪廻と呼ぶのかもしれなかった。

諦念のにじんだ笑みもそのままに、彼は一言一句をゆっくりと紡いだ。
まるで、間に合わなかった遺言のようだと律は思った。
憶えておいてほしかった、最後の言葉。
それを届けることは今でも叶うだろうか?
『僕を除霊してほしい。それから弟に、自分がどこでどう死ぬか決めるよう伝えてほしいんだ』





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