「来たよ、律!どうしたの?大丈夫?」
霊とか相談所に来たのは本当に久々だった。夏休みも真面目に受験勉強に励み、そろそろ息抜きがしたいなと
思っていたところに、弟から電話があったのだ。
『僕に除霊できるかどうか、ちょっと分からない物が持ち込まれてさ。兄さんの意見が聞きたいんだ』
いつでもいいからちょっと寄ってくれない?と言われ、エクボも連れて太陽の照りつける中を走ってきた。
律が頼ってくれたのだ。後回しになんかできるわけがない。

こんなにすぐ来るとは予想もしなかったのだろう。
振り向いた律は目をまるくしていたが、その表情は家で見るよりもずっと明るい気がした。
霊幻の仕事を手伝ってあげてほしいと頼んだのはモブ自身だ。それに弟は賢くてよく気がつく。
自分なんかより役に立つはずだとは思っていたが、本人も楽しんでくれているなら余計に嬉しい。

「兄さん、別に急ぎじゃなかったんだよ。こんな暑い時間に来なくても」
「だろ〜?夕方になってからにしろよって俺様が言ったのにシゲオの奴、すぐに飛び出しやがって」
「おうモブ!久しぶりだな。勉強はかどってるか。夏休みなのに日焼けもしてないとか可哀想にな」
全員が自分に話しかけてくるので、どれから答えればいいか分からない。とりあえず暑かった。
お久しぶりです師匠…とだけ言い、来客用のソファに座る。そこが一番涼しいのだ。

(あれ、なんか事務所の中きれいだ…)
物の配置は変わっていないのだがそう思った。そこへ律が冷たそうなカフェオレのグラスを運んでくる。
「はい、兄さん用に甘くしてあるから。おいしいよ」
「あ、ありがとう律…」
口をつけてみると危惧したようなコーヒーの苦みはない。すっと暑さがひいていく感覚に息をついた。
向かいに霊幻がどかっと座り「律、俺にもコーヒーくれ」と言ったが、「事務所では一日2杯までって約束でしょう」
とあっさり一蹴されている。

「なんだよ霊幻、けっこう律と上手くやってんじゃねえか」
「うるさいよエクボ」
「照れんなよ律ちゃんよォ。お前がここでバイトするって聞いた時は、3日ともたねーなと思ったのによ」
「僕、肩慣らしにエクボを除霊しちゃってもいいかな、兄さん」
「うん、分かる。僕もそうしたいなって思う事よくあるよ」
偉大な神になる(予定)のこのエクボ様をつかまえて、お前らときたら…と緑色の霊体は目まぐるしく飛び回ったが、
モブの力で軽くはたき落とされた。


「でも早く来てよかったかも。……正直ひどいね、この空気」
「うん、まあね。長く処置もせずに置いとくと、僕らにも影響が出そうだとは思ってた」
言いながらスルリと律は霊幻の横に座った。この弟は動作ひとつでさえとても綺麗だ。意識はしてないんだろうな…
とモブは思う。だが見る者の目をたやすく釘付けにする。
(あ、師匠も…)
ほんの1秒。霊幻はモブが今まで見たこともないような顔をしていた。律だけを、見ていた。

「依頼人は古物商をやってる人なんだけど、あの日本刀が店に持ち込まれてから色々おかしくなったらしくてさ…
家族が事故に遭ったり、夜中に叫び声が聞こえたり、家の中の物の配置がめちゃくちゃに変わったり」
霊幻のデスクの上には、色も醒めて古びた布袋に入った細長い物が置いてあった。
そこから胸が悪くなるような気が振り撒かれている。

「ああ、僕らみたいに霊感があればもう一発でヤバいって分かるんだろうけど…」
「僕もね、あれが部屋に入ってきた瞬間から、自分に除霊は無理かもって思ってたんだ。だからダメだってサインを
ずっと送ってたのに、霊幻さんが依頼を受けちゃって」
「バ…バッカ!俺も勿論分かってたんだけどな!でも依頼人が困ってるし気の毒だろうが!」
「まああと報酬がいいですもんね」
「それもなくはないがな。まずは人助けだって」
「そういう事はちゃんと稼いでから言ってください。何で僕がここの経営状態の心配しなきゃいけないんです」
「俺がちゃんと食っていけるか心配してくれてんのか。イイ子だなぁ律は」

霊幻にニヤニヤ笑いながらそう言われて、カチンときているのを隠しもしない弟の表情。
(ああ、かわいいなあ…)
モブは心底からそう思った。師匠は律をわざと煽って感情を引き出してるのかな?と気がつく。
普段は他人の気持ちなど汲みたくてもサッパリな自分だったが、この二人は近しい人だ。
一緒にいるだけで楽しそうなのが伝わってきて、こっちまでふわふわした。律には異論もありそうだったが。


「刀は人を斬ったり殺したりする道具だからな、怨念も溜まりやすいだろうよ。古いモンだし、俺様から見てもヤベエ
雰囲気がプンプンしてやがる。今回はシゲオに除霊してもらえよ、なあ律」
エクボはここまでしぶとく霊体の姿を保ってきただけあって、危機回避能力には長けている。
その彼が言うのだ。それが最善の方法だろうとモブも思う。だがそれでは律を軽んじているような気もした。

「律はどうしたい?僕の意見が聞きたいって言ってくれたよね」
「兄さん……」
「正直、今の律が一人で除霊するのは危ないと思う。それをちゃんと自分で判断して相談ができる律はすごい。
いつもよく考えるんだね。それは自分も人も危険に巻き込まないって事だよ」

お前、ちょっと弟大好きすぎねーか…という霊幻の呆れ口調に、そんなの当然じゃないですかと言ってやった。
恋愛的に好いているツボミちゃんとはまた違った意味合いではあるが。
何のてらいもなく大切にできる弟という存在は、本当に尊いものだった。
幼馴染へのそれが片想いであるため、モブが愛情を注いでいい対象は少ない。弟を自分にくれた両親には感謝
の念しか湧いてこない。
師匠には兄弟いないのかな。だから分からないんだ、気の毒だな…とモブは考えた。

「兄さん…手伝ってくれるかな」
「除霊は自分でやる?いいよ、じゃあ律のことは僕が守る。急にぶわっと襲いかかってくるかもしれないけど、
怖がらなくていいから」

コクリと頷くと律は立ち上がり、デスクの上の刀と相対した。ある程度の距離をとったままだ。
どうするのかと思えば、かざした両手から細長く力が伸びていく。
超能力の方を使っている。直に刀に触れるのは危険度が高い。二本の力の先端が親指と人差し指のように割れ、
器用に刀袋に巻かれた紐をほどいた。

「スゲエな律。どこで覚えたんだ、そんなやり方」
「花沢さんにね、教えてもらったんだ。あの人、敵のやり口でも何でも吸収して使うだろ?あれは見習いたいなと
思ってさ…」

今度は刀を立てて少し持ち上げた。口が開いているのでそのままスルリと袋が抜け落ちる。
まだ鞘をはらってもいないが、悪い気が一気に強く濃くなった。
一旦デスクにそれを寝かせると、ふう…と律は息を吐く。ここからが本番だ。刀身をちらっと見せるだけで充分だと
思うよ、と言うと弟は深く頷いた。

ふと気がつくと霊幻は兄弟の背後に立っていた。何も言わない。師匠にしては口数が少ないなとモブは思う。
彼が後悔しているのだと、その時は分からなかった。
モブがどんな事があっても弟を守るだろうという信用が、かろうじて彼を抑えつけていた。
だが、本当は律が除霊するとは思っていなかったらしい。
ずっと後になってそれを聞いて、不器用な人だと思ったものだ。
好きな人の成長を妨げたくなくて、でも傷つけたくなくて。そんなの皆同じだ。大人も子供も関係ないのに。


とうに部屋の中の全員のために防御は施してあった。だがモブは弟にさらに念入りにバリアを重ねる。
伸ばした力の先を握る形に変えた律は、鞘と柄を持ち、鯉口を切った。

「兄さん、いくよ」
うん、と返した瞬間、まずはハバキと呼ばれる金具が見え、そして刀身が現れた。ほんの5センチ。
片刃。濁っているのにギラリとしたその輝きに背筋に悪寒が走る。
だがそれよりも速く、まっ黒い雲に似た思念の塊が盛りあがり、正面にいる律に襲いかかった。
モブのバリアに激突し猛り狂う悪霊のせいで、部屋の蛍光灯がちかちかと点滅し今にも消えそうになる。

「目をあけて律!指一本触らせたりしないから、ちゃんと前を見て!」
「……ッ!!」
とっさに顔を腕でかばってしまった律はハッとして、奥歯を噛み、悔しそうな表情で眼前の敵を睨んだ。
相変わらず悪霊は、シネ、コロス、ノロイコロシテヤル、チヲヨコセ などと喚き散らしながら、ガンガン体当たりをかま
してくる。
うおおおぉん…!という恐ろしい雄叫び。それ自体が毒気に満ちていた。
人を傷つけ人の命をたくさん奪ってきた、その負の感情たちが練りに練られてここにある。
だが、絶対にその呪いが届くことはない。

態勢を立て直した律は、もう落ち着いていた。
モブの張ったドーム状の結界の外に、するりと自分の力を展開する。
大きな一枚の布状に広がったそれは、悪霊たちを残らず包み込んでいくと、突然キュルッと口を閉じた。
そのまま空気が抜けるように、どんどん体積を収縮させていく。

手で持てるぐらいの大きさになったところで、律は目線を据え、鋭い命令口調で告げた。
「消えろ」
パン!と両手を打つ。紙風船を潰すような動作だった。
それを合図に、悪い気は塵すら残さず部屋から消滅した。鮮やかな手際にモブもエクボも息をのむ。
あとには一振りの錆びた刀が残った。もうそれはただの骨董品にすぎなかった。



「やった律!すごいよ、あとは防御に力をさけるようになれば完璧だよ!」
嬉しさと誇らしさのあまり、モブは弟の腕にしがみつきながら叫んだ。だが本人は放心したようにぼうっとしている。
揺すられてバランスを崩したのか、足がもつれ軽くよろめいた。
だが、背後からとん、と支えるものがあった。
律の両肩を包むようにしながら、「お、大丈夫か?フラついてんな」と霊幻が声をかける。

首だけをそちらに向けて、律は「霊幻さん…」と力なく呼んだ。緊張が解け、体が弛緩したのか立っているのも
やっとという様子だ。
「おう。無茶させて悪かったな。だけどよく頑張った。偉いぞ、律」
髪をぐしゃぐしゃ撫でながらそう言われ、律の唇がふ…と弧を描いた。
親に褒められても興味なさげにいなしてばかりいる律が嬉しそうに笑うところをモブは久しぶりに見たと思った。
その表情から見え隠れする何かに、胸が衝かれるような思いがする。

「なんか…眠いんだけど兄さん…」
「大きい力を使ったせいだよ。師匠、ソファまで運んで。律一人ぐらい抱えられますよね」
「えっいや、お前が超能力使えばよくねーか…」
「アンタちょっと働けよ」
たまに自分に対して口調の荒くなるモブに、怖えぞお前…と肩をすくめながらも霊幻は律の上半身を抱きかかえ、
そっと持ち上げた。
シゲオ何怒ってんだ?と空中から聞いてくるエクボがめんどくさい。

ソファに寝かされた律の額に手を当てた。冷たくて気持ちがいいのか、すうっと息を吸い込む。
「今日の仕事はもう終わり。少し眠るといいよ」とモブは優しく言ってやった。
兄が力を分けてくれているのに気がついたのだろう。「ありがとう兄さん…」と呟いて律は目を閉じる。


「あーこれで久しぶりにデカイ収入あるな。金銭的に余裕があるとやっぱ心にも余裕が出るっつーか」
ご苦労さん、お前らにもボーナスやるよとわざとらしくヘラヘラして表情を隠す霊幻に、言いたい事が山のように
込み上げてくる。
あれで誤魔化せてるつもりか。つもりなんだろうな。
師匠って実はすごくバカなんじゃないかなとモブは思う。いや、認めたくないだけか。

「筋肉がおちるから、受験勉強中もやっぱり筋トレは続けないとダメだ…」
「どうしたよ、シゲオ。何だか知らねーがやる気マンマンだな?」
「ああうん。いつかもしかしたら2・3発殴らないと治まらない日が来るかもしれないと思ってさ」
「ハアア?」

大切な子の髪をサラサラと何度も梳く。長めの前髪の下には、過去に自分が負わせた傷があるはずだった。
そしてそれは柔らかな弟の心までも傷つけ、やがて大きな負荷となった。
消えない過ちをモブは指でそっと探る。忘れていたわけじゃない。後悔してた。
だが、弟と向き合うこともしないで、長く置き去りにしてしまったのも本当だ。
『いつまでも気にする事じゃない』 律はどんな思いで自分にそう言ってくれていたのだろう。

さっき当たり前のように霊幻がここに触れたのを思い出すと、微妙すぎる気分になってきた。
まあ何というか、端的に言えばムカつく。
弟の事となると過敏なモブのストレスメーターの数値は爆上げだった。
(僕はただ、律が楽しく正しく力を使えるようになればと思ったんだけど)
(なにかを大きく間違えましたか、神様)

ああ、大変なことになったなあ…とモブは煤けた天井をぼんやり見上げて考えこんだ。
そう長く生きているわけでもないが、人生は超能力なんかでは解決できない事でいっぱいだった。





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