Ending.



相楽家の古い階段の昇り口から、「明仁!時間もうあんまりないで!」と郁実は叫んだ。

冬場は布団に懐いてなかなか起きてこない明仁だが、他の季節は寝起きスッキリのタイプだ。
郁実の手をわずらわせるのは珍しい気がする。

実のところ、朝食をとって出勤するだけならまだ充分な時間はあった。
だが、三年前のあの日から、霊避けの結界を郁実の周囲に張ることは習慣づけられている。
それに15分ぐらいかかるので、相楽家の朝はちょっと慌ただしいのだ。


軽い足音をたてて急な勾配の階段を上がると、少し襖が開いたままの明仁の部屋を覗きこむ。
開けてあるのは、「入ってきていいよ」という意味だからだ。
とはいえ、この男が郁実の入室を拒むことなどありえない話であったが。

「あ、郁ちゃん。もう準備できるからね」
白さがやけに眩しいワイシャツにネクタイを通した状態で、明仁は郁実に笑いかけた。
再会した当時はまだどこか少年ぽさを残した顔立ちだったが、25歳になった今は男の色気が備わり
大抵の女性が惹きつけられずにいられないような風情である。

しかし、中身は相変わらずだった。
「郁ちゃん、その新しい制服 可愛いね。めちゃくちゃ似合ってるよ」
と、入学式の日から毎朝言っているセリフを今朝も堂々と言ってのけた。頭痛がする。


「あんな…そっちは今朝もネクタイがおかしいっちゅーねん!」
「えっ、そう?」
「頼むからバーバリーのネクタイはバーバリーのスーツと合わせてくれ」

明仁のシャツに差し込まれていた、昔ながらの上品なチェックのネクタイをするっと引き抜く。
他のブランドと互換性のあるものはいいが、バーバリーのようにトータルコーディネートが基本の
場合それを無視するのはいただけない。

まだ上着は着ていなかったが、ボトムは紺地にかすかなピンストライプ。
どうしてベージュ地に赤・黒のチェックのタイを合わせようとするのか、理解に苦しんだ。

(明仁、服のセンスが悪いわけとちゃうのに、なんでなんや…)
最初は、わざとやってるんじゃないかと少々疑ったこともあった。
だが郁実と再会した日もおかしかったので、その疑惑は引っ込めることにしたのだ。


郁実は勝手にクローゼットに近づくと、引き出し状になっているネクタイ収納から、渋いえんじに
小紋の入ったものを選り出して手渡した。
ありがとう、と言って明仁は手早くネクタイを結び、これまた郁実の選んだタイピンを留める。

「どう?ちゃんとした?」
「うん、かっこええ。明仁、ネクタイ結ぶのは上手いな。今度制服のやつ結び方教えて」
「いいけど、俺が結んであげるよ」
「結んであげる…って毎日か!?」
「そうだよ。だって郁ちゃんは俺のネクタイ、毎日選んでくれるし」
「いや、それは単に俺がオカン体質なだけやから!」

『アンタ、明仁さんに関してはもう、オカンというより嫁やね、嫁!』 と、口の悪い幼馴染に言われた
のを思い出し、なんでだか耳まで熱くなる。



「さあ、結界張ろうか。郁ちゃん、そこに座って体の力抜いて」
「うん…」

相楽家には和室しかないので、三年前、明仁の荷物が届いた時には、絨毯でも敷いて洋室っぽい
部屋にするのかなと思っていた。
だが意外なことに、クローゼットやデスクなどの家具類はどこかしら和テイストで揃えられてあった。
シェードに和紙を張った間接照明は、夜になると柔らかい光を放つ。

そう広くはないが、全体的に非常にしっとりした居心地のいい空間になっている。
郁実は自分の部屋よりも、ここにいる方がずっと好きなぐらいだ。
部屋の隅には、年季の入ったびろうど張りの二人がけのソファが据えられていた。
郁実と明仁の二人が座っても、まだ余裕のあるゆったりしたサイズだ。


「お…お願いします」
「それ毎朝言うよね、郁ちゃん。試合するんじゃないんだから」
笑いながらどさりと隣に座った明仁は、慣れた仕草で腕を広げ、郁実の体を優しく抱きしめた。

この瞬間、いつも体が強張ってしまう。
だが、控え目な強引さで引き寄せられると、明仁がいつもつけているフレグランスが香って、自然と
力が抜けていくのを感じた。
深い森の中みたいな香りと、ぴったり寄り添って近づく体温、そして自動的に混じり循環する力。
そのうえ優しく髪を撫でられると、安心しきってしまう。

この霊避けの結界は、明仁が郁実の足元から順番に編み上げていくようなイメージらしく、徐々に
彼の力が自分を取り巻き始めると、郁実は眠ったような状態になるのが常だった。


郁実の霊視の力はなくす事などできなかったが、この結界は目くらましになっていた。
だから、めったなことでは霊魂は郁実に惹きつけられて寄ってきたりしない。
それに加えて、本家の祖父が送ってきた呪力のこもった数珠を足首に巻いていて、この二重の
守護は強力なものだった。

結界はフィルターの役目も果たしており、以前のように生きている人間と霊の区別がつかないと
いう事もないので、安心していられる。

そもそも結界を張るのはユッキーが本職だが、この役目を明仁が譲ったことは一度もなかった。
毎朝必ず時間をかけて、郁実を守る障壁で大切にくるみ込んでくれる。
今日も郁実はだんだん重くなってくる瞼に耐えかねて、やがてすうっと寝息をたてはじめた。



意識は結界を編むのに集中していたが、郁実の腕が自分の背中に回されているのに気づいて、
明仁の口元はふわりと緩んだ。

眠り姫みたいだな、と思うが、郁実にそう言ったらきっと怒りだすだろう。
だが勝気そうな瞳を閉じていると、そんな風に見えてしまうのだから仕方がない。
どんなに文句を言われても、可愛いものは可愛い。

三年の間に背も伸びて、顔立ちからは幼さも抜けてきた。
それでも長いまつげが頬に陰を落としている様子は、僅かに子供の頃の面影を残している。


……自分の想いは、最初から恋だったのだろう。
あの日、この子を間近で見た時に本当はもうそんなことは分かっていた。
それでも、待つのには慣れていたから苦しくはなかった。

(でも今はちょっとだけ苦しいよ、郁ちゃん…)
きれいに郁実の周囲に結界を張り終えると、緊張を緩めるように息を吐きながら、明仁はくったり
した体を抱き起こした。

いつも傍にいるくせに、むしょうに顔が見たくなる。
何年一緒に暮らしても、郁実の存在を当たり前に感じることなどできはしない。

目を離したら消えてしまうんじゃないか。
恋をすれば、誰でも相手のことをそう思うのだろうか。
病気だな…と力なく笑った。昔から言うところの不治の病。つける薬もなさそうだ。


片方の手で髪をさらさらと梳きながら、左目元の泣きぼくろにそっと唇を押しあてた。
かすかにまつげを揺らすが、意識が浮上するほどではないようだ。
それに安堵して、明仁は瞼に、額に、髪に口づけを散らしていった。

何も知らない郁実にこんな事をするのは、ルール違反だと分かり切っている。
殴られたって、文句は言えない。
もし泣かれたら心臓が潰れそうだな、と明仁はぼんやり自分の左胸の心配をしてみた。

悪いことをしている。
なのにそれは甘い味をしていて、一度始めたらもう止まらなくなった。

「愛してるよ、郁ちゃん…」
滑らかな頬を手で包み込んで。
かすかに開いている郁実の唇に触れる直前に、明仁は思いの丈をそっと告げた。

柔らかに擦れあうその感触と、伝わる温もりに、頭の芯が酔ったように白く溶けていく。
どこか深みに落ちているのにも似た感覚。
後戻りできない。




「見〜ちゃった〜」

地の底を這うような声にぎくっとして振り返れば、開いた襖のところにちょんと座ったユッキーが、
じっとりした目でこちらを見ていた。
長年連れ添った相方とはいえ、さすがの明仁もパニクり、何と言っていいか分からなくなる。
いや、何を言っても言い訳だろう、この場合。

「あ、あのな、ユッキー…」
「ああ、皆まで言わずとも結構です。郁実さまも高校生になられて、もはや初彼女を紹介される日
までマジで秒読み段階。主が焦りまくってるのぐらい承知しておりますとも」
「う…」
「郁実さまはカッコ可愛いですしねー男気もありますから、そりゃもうモッテモテでしょうよ」


そうなのだ、実際、中学時代にも何度か告白はされていた様子だった。
郁実がまだそういう意味で成熟していないのか、『付き合うとかよう分からんわ』 と笑ってばかり
だったので、今まで決定的な打撃を被ったことはないのだが。

おまけに美晴の存在が、いい虫避けになってくれていたとも言える。
いくら単なる幼馴染とはいえ、郁実と美晴が一緒にいると美人度数が高すぎて、そこいらの中学生
ではなかなか近寄り難いらしかった。

しかしそれでも美晴ゾーンを突破して告白した女子は、今まで幾人もいたのだ。
高校生にもなれば、誰も彼もが色気づく。
もはや秒読み段階だというユッキーの言葉は真実だった。


「郁実さまに彼女を紹介されて、『可愛い子だね、郁ちゃんとお似合いだよ』 と笑顔で嘘八百を並べ
たて、その後連日やけ酒をあおった主が肝臓を悪くして入院する未来が今から見えるようです…」
「具体的すぎだ。カンベンしてくれ…」
「やせ我慢は体に悪いですよ、主」
「おまえな、どうしろって言うんだよ」

はあ、とため息をつきながらも、眠り続ける郁実を見れば、あっというまに胸の内は温かなもので
満たされてゆく。
開き直ったように、明仁はまた郁実をぎゅうっと抱きしめた。
3年前に言ったことは嘘ではない。
こんなに愛しいと思える人がいる自分の人生は、やはり美しいものだった。


そんな相手を永遠に喪った人もいる。
明仁の心によぎった思いを読み取ったかのように、ユッキーが唐突に言った。

「細(ささめ)さまのように、なるおつもりですか、主…」
「師匠か?あの人みたいになれたらと思うけど、俺じゃまだまだ修行が足りないな」
「幸せな生き方ではありませんよ」
「そうかな。あの人は自分の思いを曲げたことがないし、そんなの他人が測れるもんじゃないだろ」

郁実の母親と対の存在だった、九条家14代目の除霊師。
自分の師でもあるその人の凛とした姿を、明仁は瞼の裏に思い描いた。
もう何年も会っていない。
大阪へ旅立つ時に、二度と戻ってくることは許さんと言われたからだ。

『師匠は、郁ちゃんに会いたくはないですか』
『……会いたいのはお前だろうが』

赤ん坊の時でも椿そっくりだったな、あの子は。
そう言って珍しくくすりと笑った師を見て、ああ、この人が会いたい人はもうどこにもいないんだと
明仁の胸は痛んだ。

椿の願いも、細の思いも、背負うなんておこがましいけれど。
郁実が誰を選んでも、変わらず守る覚悟ならばできているとずっと思い込んでいた。
それが、自分に課せられた役目だと。
だが悩まずにいられるほど俺は強くはなかったな…と自嘲しつつ、明仁は郁実の体を揺さぶった。


「郁ちゃん、起きて。ちょっと時間かかりすぎちゃった」
「う…ん…」
「もう下に美晴さんもいらしてますよ。お急ぎになってください」
「うっわ、もうこんな時間やん!」

時計に目をやり慌てて立ちあがった郁実に、ユッキーは先生のような口調で言い聞かせた。

「結界があるから大丈夫でしょうが、何かあったら 『ユッキー助けてぇ〜!』 と念じてくださいね。
それで分かりますから」
「いやそれ、ビミョーに俺のキャラとちゃうやろ。誰やねん」
「とにかく油断は禁物だよ、郁ちゃん。学校なんて霊の温床なんだから」
「そうですよ。一匹いるところには百匹いると思ってくださいね」
「コラコラ、非業の死を遂げられた方々を、Gのつくアレみたいに言うたらあかんやろ」

郁実がこの間まで通っていた中学も、3年の間にこの主従コンビが夜間の不法侵入を繰り返しては
巣食っていた霊を根こそぎあの世へ送ってしまった。
郁ちゃんの快適なスクールライフのためとか言っていたが、軽い運動を兼ねた趣味としか思えない。

『七不思議の分ぐらい残しとけばよかったかな。霊のいない学校なんて趣に欠けるよ』 と、除霊し
終わった明仁が言い出した時には、どないしたいねんアンタは!?と問い詰めたくなった。


「とにかくソッコー朝御飯やから!すぐ降りて来てや!」
大急ぎで階下へかけ降りる郁実と、笑顔で頷く明仁を見比べながら、ユッキーは嘆息した。
普段は容赦のない態度をとってはいるが、明仁とて自分の大切な主だ。
できれば幸せがある方向へ誘導してやりたいものだと思う。

だが、この恋に望みがないわけでもないと教えてやるのは何だかフェアじゃない気がした。
郁実には郁実の考えがあるはずだ。

それに多少こじれてこそ、恋愛はドラマチックに盛り上がるものではないか。
最近、美晴に借りた韓流ドラマのDVDを何本も観て、ちゃんと学習したのだ。
むしろ、えげつないライバルの一人や二人登場してもいいように思う。
主の会社には、家まで押しかけて来るようなパンチのきいた女性はいないんですかね…と、ドラマ
の見過ぎなユッキーは考えた。

とにかく今はまだ自分が動く時期ではないと、あっさり傍観を決め込むことにする。
だが色んな意味で煮詰まっている明仁に、雪うさぎは出血大サービスでひとつ助言をしてやった。

「とにかく、私が言いたいのはですね」
「…なんだよ?」
「主がそうあってほしいと思うほど、郁実さまはもう子供じゃないってことですよ」




派手な音をたてて階段を駆け降りた郁実は、花瓶ののった台の横の壁に助けを求めるように手を
突いた。
そのままずるずるっと、そこにしゃがみ込んでしまう。
「俺、いつまでアレに気づかんふりしてられるんやろ…」

無意識のうちに指で自分の唇をなぞっているのに気がついて、かあっと余計に頭に血が昇る。
柔らかく触れて吸われただけなのに、唇から熱が引いてくれる気配が全然ない。
動悸は速いし、なんか涙目になってる気もする。
とにかくもう、頭の中はぐちゃぐちゃもいいところだった。朝っぱらからヘヴィすぎる。

別に狸寝入りをしていたわけではない。
今まではずっと、結界を張ってもらっている間は完全に眠っていたのだ。
眠りが浅くなってきたのは ここ半年ほどのことで、だが明仁の腕の中でうとうととするのは心地良く
何ら問題はなかった。


初めてキスされたのは、一週間ほど前。入学式の朝。
まあよく叫んだりどついたり逃げ出したりせんかったもんや、と郁実は自分を褒めたくなった。
別に嫌だったからではない。
嫌ではないのが、また大問題だとも言えるのだが。
こっちは目を閉じていたので、唇に優しく触れるのが何かを考えるのに時間を費やし、理解した途端
に頭が真っ白になった。
結果、されるがままなすがままに、たくさんの柔らかなキスを受け入れてしまったのだ。


それからは、毎日毎日考えている。明仁のことばかり。
(保護者みたいなんじゃなくて、俺のこと、好きってことなんかな)
(れ…恋愛感情、ってことか)
(つまり付き合いたいとか…?同じ家に住んでんのに付き合うってどうやるんや)
(付き合うって恋人同士ってことやんな。キスとか他のこともするんやろうけど…)
(いや、それ以前に男同士やからな、俺ら!)

ぐるぐる考えを巡らせて、最後の最後にやっと男同士だと思い至るあたり、自分も結構終わって
いると郁実は頭を抱えた。

しかも好きだと言われたわけじゃない。
明仁が生半可な気持ちで郁実に手を出すとは思えないが、告白された訳でもないのに色々考え
まくる自分は何だか自惚れているようで、ちょっと凹んだ。


毎日毎日、キスをする。
郁実の意思を無視してこっそりやっているんだから、悪いことなのに。
目を開けることも、拒絶することもできない。

『愛してるよ、郁ちゃん…』
今日初めて、そう言葉にしてから口づけてくれた。

それがくらっとするぐらい甘くて、ぎゅーっと抱きつきたくなるのを必死に我慢したぐらいだ。
好きだから、キスしてくれてるんや、とやっと確信できたというのに。



(なんやねん、あのものすごい諦めモードは!!)
先刻までの出来事を反芻するうちに だんだんムカついてきた郁実は、腹立ちまぎれに罪もない壁
を拳でガツンと殴った。
もちろん自分の手が痛いだけだった。だがこうでもしないととても治まらない。

振られて気まずくなって一緒にいられなくなったら困るから、今のままでいい。
そう考えているとしか思えなかった。
確かに10年郁実と引き離されたことが、明仁にとってトラウマになっているのは事実だ。
霊から庇護してもらう事ができなくなるのも困る。

困るが。
ユッキーとの会話を聞いていると、もし郁実に彼女ができても笑顔で祝福する覚悟はできている
みたいな雰囲気だった。
思い返すと、頭が煮える。


(いや別に俺かてホモになりたいわけちゃうし!それならそれでええねんけどな!)
強がってみたが、本心は全然よろしくなかった。
郁実を諦めるために、ヤケになった明仁がその辺の女と結婚するとか言い出したらどうしようと
思うと何だか泣きたいような気分になる。

「あーもーなんで、俺が片思いしてるみたいやん…くっそ〜」
しかも仮に、仮にだが、郁実の方から好きだと告白したとしても、『それは家族に対する好きだよ、
郁ちゃん』などと、しょーもない理屈ではぐらかしてきそうだった。

それは自分が悪いのではない。
いつまでたっても乳母根性が抜けない明仁のせいだ。
自分はまだ子供かもしれないが、一人で何かを考えて行動することぐらいできる年なのに。

明仁の中では、郁実に対する尋常でない庇護欲と恋愛感情がごちゃ混ぜになっている。
それがあんな後ろ向きでどっちつかずな態度に繋がっている気がした。

傷ひとつつけずに守りたいのと、めちゃくちゃに抱きしめたいのと。
両方あるとしたら、守りたい思いの方が強いぐらいなのかもしれない。

そういう大きな愛情を、明仁から注がれてきたのは痛いほど分かっていた。
だけど一人で煮詰まって、勝手に答を想像して、気持ち隠して、何もなかったみたいに振る舞う
なんてどんな自己完結だ。
ありえないったら、ありえない。



だいたい7日間連続で人の唇を奪っておいて、なかったことにしようなんて厚かましいねん!と
郁実は二階を睨み上げた。

どうせ、明日も明後日もするつもりのくせに。
愛してるとか言うくせに。
(なんで、好きになってって言わんのや)

「明仁のアホ!ヘタレ!!」
憤懣やるかたない口調で毒づいてやった後、少々スッキリした顔になった郁実は、さてどうしたもん
かなーと思案しつつも、居間の方へと歩きだす。
急がなければ、明仁とユッキーが降りてきてしまう。


前途多難、花には嵐のさわりあり。
きっと、この先は楽しくて心地よいことばかりじゃないはずだ。

だが廻り来た春は、凪いでいた心にいくつもの波紋を広げながらも、かつてないほどに美しかった。