あなたのごはん





「お願いしますよジェノスさん。あのブログが女性、特に主婦に大人気なのはご存じでしょう?」
「知らん。用が済んだらさっさと帰れ。俺は忙しいんだ」
「それにしてもすごいいい匂いですね…何ですかね」
「あ〜昨日海で怪人倒した時に、砂浜でアサリ獲ったんだよ。ジェノスが佃煮にするって」
「自分で調達できるものは、ほんとにするんだ…」
「まあな。アイツ最近近くに家庭菜園も借りてんだぜ」
「先生が一番お好きなのは白菜ですからね。あれほどの大物野菜はさすがにベランダで作れませんし」

S級ヒーローの中でも特に人気が高い。若くてイケメンで強くてクールな通称『鬼サイボーグ』は、
キッチンの小窓の向こう側から『先生』ただ一人に向けて柔らかな笑みを見せた。
ブログの写真で見たことはあったが本当にピンクのエプロン姿だ。

普通は…、とその日、ジェノスを訪ねてきた出版社の若い社員は考える。
(こういうイケメンが所帯じみた事やってるって知ったら幻滅されそうなんだけどなあ…)
(今は料理ができるのもカッコイイの条件ってことか)
確かに昨今、俳優も歌手も芸人もこぞって家事ができることをアピールしている。
だが、彼らの作るものはお洒落だったり、高級志向だったり、とにかく自分をかっこよく飾ることが
目的のような気がした。

だが、この鬼サイボーグ・ジェノスは一味ちがう。
彼の料理はただ一人の人にのみ捧げるものだった。彼が尊敬してやまない、師であり同居人である
B級ヒーロー・サイタマだ。
サイタマについてはとかく悪い噂をよく聞く。その上ハゲというのもあいまって、世間ではあまり
人気がない。一方で、奇跡のような活躍をしたという話も聞くし、よくわからない人物だ。
今もキッチンでせっせと働くジェノスを横目に、腹を掻きながら漫画を読んでいる。


今日、出版社から自分が派遣されたのは、ブログの書籍化に向けジェノスを説得するためだった。
彼は師のために毎日毎日朝昼晩おやつを己の手で作り続けているらしいのだが、そのレシピをメモ
する代わりに、料理ブログを立ち上げていた。
その名も『下手な料理と安い食材は無関係!!鬼サイボーグの愛情ねじ込みレシピ』という。

非常にザックリとした男らしい内容なので、料理初心者にはまったくもって不向きだったが、その
大衆に迎合しない姿がまたカッコイイという事らしく、ブログの人気はどんどん上昇した。
今や、トップブロガーの一人なのである。
そういう人気ブログの内容が書籍化するのはよくある話だ。
まずは小手調べにと、一番若い社員が『鬼サイボーグと年が近いし話が合うだろう』という訳の
分からない理由で行かされた。
年が近いと言われても相手は19歳、自分は25歳。たぶん『先生』の方と同年代なのだが。
しかしこれはある意味チャンスだ。もし彼の本を出版となれば、大金星を挙げることになる。

「えっと…料理なさってる所を見ても大丈夫ですかね…」
「いいんじゃね?んな怖がらなくても大丈夫だって。小窓から見てみろよ」
なんとなくジェノスではなくサイタマにお伺いをたてる。彼はのんびりとした口調でそう言った。
おそるおそる小窓に近づくと、ジェノスは一度迷惑そうにこちらを見たが、すぐに作業に戻って
しまった。

調味料と生姜しか入っていない鍋の中身を小さい火で煮詰めている。
しかしむき身になったアサリには一度もう味がついているようで少し茶色くなっていた。
「あれ…貝を一度引き上げたんですか?」
「フン、意外とよく見てるんだな。料理はするのか」
「あ、ハイ。母子家庭だったもんで、難しい料理はできませんが母に代わって作ることもありました
し多少は」
「多少はというのは謙遜か?できるならできると言え」
は…はい!できる方だと思います!と言うと、鬼サイボーグと呼ばれる人の表情が少し緩んだような
気がした。何しろ綺麗な顔なので、無表情だと怖いのだ。
あの、僕も作り方をメモっていいですか?と調子にのって聞いてみる。
好きにしろとそっけなく言われたが、メモとペンを取り出すと最初から説明してくれた。

「砂を吐かせてむき身にしたアサリ500g、生姜は皮つきのままよく洗って60gを細切り。調味料は
砂糖大さじ3、みりん100CC、酒100CC、醤油2/3カップ…だいたい130CCってとこか」
先生は上白糖ではなく三温糖の自然な甘みがお好みだ、と重々しく言われた。それもメモる。
ジェノス、俺の好みとかどうでもよくねーか?と背後からサイタマの声がしたが、妙にムキになった
声で先生のお好みが俺の料理です!と彼は言い返した。
(あれ、なんかかわいいな…)
口に出せば怒られそうなことを考えてしまう。だってちょっと子供っぽい。
二人は年で言うと5つぐらいしか離れてなさそうだが、こんな顔を『先生』に見せるんだなと何か得
をしたような気分になった。

「鍋に調味料と生姜を入れて煮立てておいて、そこへアサリを入れる。貝がぷくっと膨れたら、一度
取り出すんだ」
「ぷくっと…」
「なにか文句あるのか」
「いえ、よく分かる説明でありがたいです」
あ、今がちょうどそこまでの行程なんですね?と言うとジェノスは頷いた。
あまり煮すぎると貝が固くなってしまうから一度出すらしい。もっと男の料理!という感じかと思って
いたのだが、要所要所はきちんと手を抜かない人なのだろう。

「あとはこの煮汁を半分ぐらいに煮詰めたところで貝を戻し、煮汁がなくなるぐらいまで煮たら完成
だ。質問は?」
「ありません!ていうか食べたいです。おいしそうな匂いだ〜」
「図々しい男だな。これは貝一粒までも先生のためのものだ」
「ジェノス、後で飯よそって3人で味見しようぜ!」
「そうしましょう先生。すぐお持ちします。少し時間をおいた方が味が染みるんですが」
「いいよ、皆で食った方が美味いだろ」
「先生のご厚情に感謝しろ、貴様」


「おいっし〜!!」
「おう、うめーな。俺の好きな味だ。腕あげたなジェノス?」
「畏れ入ります先生。そのお言葉を胸に一層の精進をすることをここに誓います!!」
ほかほかのピカピカの白米の上に、先刻のアサリのしぐれ煮をのせただけ。
それだけなのに、どうしてこんなに美味いのか。

「作り方も意外と簡単でしたし、色んなことに使えそうですねこの佃煮」
「そうだな、茶漬け、豆腐にのせたり和え物もいい…あと和風パスタの具にも」
「パスタじゃなくてスパゲティだろ」
「そうでした。スパゲティ和風ボンゴレ先生バージョンですね」
「あああ〜それ、僕も家で作りますぜったい!!」
米粒ひとつ残さず平らげてしまうと、ようやっとここに来た目的を思い出した。
きちんと正座しなおして、鬼サイボーグと向き合う。今度は臆さずにまっすぐ目を見た。

「あの、僕みたいな若造がこんな大きな仕事の契約をとれるなんて会社でも思われてないと思いま
す。でも今日これを一緒にいただいて、すごくすごく美味しくて」
「……俺の料理は、先生のためだけのものだ」
「分かってます。ブログも別に人のためになるとかそんなんじゃないんでしょう?ただのメモ。
それでいいんです!でも、きっとそのまんまの味をみんなも好きになると僕は思います」
この人のためだけの料理。いいじゃないか。
このたった一膳のご飯だって、カケラも他人のものじゃない。
サイタマさんは、その贅沢をわかってるかな?とちらりと見た。また素知らぬ顔で寝転がり漫画を
めくっている。
さすがヒーローだ。近くで見るといい体をしているのが分かった。

「でもすごくねーか?ジェノスの料理もそんなもてはやされるようになったんだな。最初にお前が
俺に作ったチャーハンのこと覚えてっか?」
「先生!!」
「真っ黒焦げでベチャついてるのにジャリジャリしててよ」
慌てた顔をする弟子に構わず、『先生』は肩を揺らしておかしそうに笑った。
この狭くて小さな部屋の中で、そんな事もあったのか。何でも楽々こなしそうな人だが、最初は失敗
して、それをサイタマも辛抱して、今の料理になったのだろうか。
そういう二人だけの思い出を知ることができたのも、何故か嬉しい。

「サイタマさんがジェノスさんに料理を教えられたんですか?」
「ん、まあ俺も一人暮らし長かったから最初の手ほどきみたいなのはしたけどよ、コイツ器用だし
勉強熱心なヤツだから、すぐ自分で何でもやるようになったぞ」
「そういう裏話的なことも本に載せたいですね…」
ジェノスにジロリと睨まれ首をすくめたが、本心からの言葉だ。この人の料理は、家庭料理なんだな
と知る。大事な人が美味しいと言ってくれればそれでいい。
自分も母のために初めて作った卵焼きは、きっとおいしくはなかっただろう。
そういう事を積み重ねて、それは形を成していく。そういうものなんだと少しだけ分かる。

「会社はドンチューの編集長とジェノスさんの対談を本に載せたいみたいでしたけど、僕はサイタマ
さんとの料理の思い出話の方がいいなあ」
会社としては、『食を楽しむ』がテーマの雑誌の編集長というネームバリューのある人間を対談の
相手に据えたいらしかったが、なんか違う…という気がしてならない。

「………ってもいい」
「え?」
「俺の出す条件をすべてのむなら、出版を考えてやってもいい」
「本当ですか!!?」
驚いて身を乗り出す。しかしどういう心境の変化だろうか。条件とは何だろう。
金を不要という人はあまりいないだろうが、彼はこの生活に満足しているようだし、金銭的な事とも
思えなかった。

「条件というのは何でしょうか」
「金は別にいらないから、印税は怪人被害で親をなくした子供にでも寄付しろ。あと本の内容・装丁
や帯なんかは全て俺が監修する」
「な…なるほど…そう来ましたか」
「それから対談の相手は俺が決めるからな。当然のことだがその御方は、ここにおられるサイタマ
先生だ!!」
「おいおいジェノス、そんなめんどくせえ事お断りだっつの俺が」
「分かりました!その方向で社に持ち帰って、上と話をしてみます!」
「おい、お前も勝手に話まとめんなよ」
「先生、これは世の愚民どもに先生の素晴らしさを広める大きな機会になるかもしれません。俺の
本が300ページとして、275ページまでは先生のお言葉で埋めましょう!」
「何の本なんだよそりゃ」



かくして、それから2カ月が過ぎた。
その後、ジェノスと出版社の間では細かい打ち合わせが行われ、彼の一方的な要求に応えるのには
相当難儀したが、レシピ本の出版に向け企画は着々と進行している。
(たぶん、会社側が最初に思い描いてたのと全然ちがう本になりそうだけど)
師弟のところへ出版の交渉にいった若い社員は、くすりと笑った。
どういう本にするかでは色々揉めたものの、この契約を勝ち取った事は評価され、何より嬉しいこと
に企画にも参加させてもらった。
(まあ、ジェノスさんの無茶ぶりにそこそこ対応できるのが僕だけだったって話なんだけどね)

会社の外へ出て、カバンの中からファイルを大事そうに取り出した。
今日、見本があがってきたばかりの本の帯だ。もちろん、彼の全監修によるもので、これを見た
上の人々はなんとも言えない顔をしていた。
だけど楽しいし、彼らしいと思う。きっとこの本は大人気になる。
あの日二人と一緒に食べたアサリのしぐれ煮の作り方も、ちゃんと本に収録されるはずだ。









携帯でジェノスの番号をコールした。ヒーローとして忙しく活動している人だ。今日もどこで何を
しているか分からない。

だが、意外なことに彼はすぐに電話に出た。
「あ、ジェノスさんお久しぶりです!今大丈夫ですか?お家ですか?」
「ああ。用件はなんだ」
「あの、本の帯の見本があがったんです!一度見ていただきたくて。お時間あるのならどこか
喫茶店ででもお会いできませんか?」

いつもハキハキしている彼には珍しく、ほんの少しの間があった。それから唐突に言われる。
「今日はカレーだ」
「……は?」
「だから、先生がとてもお好きなナスとトマトと挽き肉のカレーだと言っている」
「あっ料理中でしたか。珍しくお仕事がない日ぐらい、美味しいものをゆっくりサイタマさんに
作ってあげたいですもんね!」
「俺のカレーは美味い」
「そうですよね。じゃあまた後日、お時間ある時に僕に連絡をいただけますか?」

ジェノスがもどかしそうな唸り声をもらすのが聞こえて、何だろうと思った。すると。
「貴様も察しの悪い奴だな。見本を持ってきてここでカレーを一緒に食えと言っている」
「カレー…カ……ええ〜!?いいんですか!!?」
「うるさい。嫌なら来なくて」
「いきますいきます。今すぐ行きますからサイタマさんにも言っといてください!!」

ハハ、友達ができたな。よかったなジェノス〜とからかうようなサイタマの声が向こうから聞
こえた。
よしてください先生!!とあの日のように彼が焦った声で言い返している。
きっと少し子供っぽい顔。そういえばいつも敬語で話すから、彼が年下なのを忘れていた。
カレーに招いてくれるという事は、少しは仲良くなれたのだろうか。

いい本を作って、この仕事上の関係が解消されたら、それでもたまにはあの部屋を訪ねても
いいか聞いてみよう。
おこがましいかもしれないが、自分が母のために考えた料理も彼に教えてあげたい気がする。

スーツ姿で、アスファルトを蹴って駆け出した。
Z市のゴーストタウンは怪人が多く危ないと言われているが、電話をするとサイタマが何かの
ついでのようにフラリと迎えにきてくれるのだ。
(きっと、あの廃墟みたいな町いっぱいにカレーの匂いがしてる)
その鍋がヒーロー・ハゲマント一人のものであったとしても、お相伴にあずかるという便利な
言葉があるわけで、自分がジェノスにそれと認定されたのは、やっぱり名誉なことだった。