「先生は、今までに誰かとお付き合いしたことはありますか」
「いきなり何言ってんのジェノス君」

テーブルを挟んで向かい側。今日もノートにカリカリカリカリ何かを記入していた弟子が 、顔を上げ
訊いてきた。
ふと見れば、『先生がかつて交際した人の数について』 と重要な議題のごとく記されている。
いつもサイタマがどんな角度で寝転がっているかとか、漫画のページをめくる速度だとか、一週間の
白菜の消費量だとか、しょうもない事を生真面目な顔で書きまくっていた弟子だったが、さすがにそれ
にも飽きたのだろうか。
イキナリ危険地帯に踏み込んできやがった、とサイタマは内心で冷や汗をかく。

「あージェノス。俺がモテるように見えるか」
「勿論です!先生は素晴らしい方です。若干ものぐさなのと資金力不足は否めませんが、そんな事は
気にもとめない大らかな女性もおられたでしょうし」
「まあ昔は髪もあったしな」
「で、何人と交際を」
「ん〜ちゃんと付き合ったってのはないんだよな。ただ…」

そこで言葉を濁し、「あ、お前まだ未成年だしこういう話はアレか、アレだな」とサイタマはあちこちに視線
を泳がせている。
何を言いにくそうになさっているのだろう先生は…とジェノスは小首を傾げた。
その仕草がまるで大型犬のようなかわいさで、師を悶絶させているのにも全く気づかない。

「ああなるほど分かりました。交際はしていないけれど、性行為だけは行っていたという事ですね」
ポン!と手を打った弟子の発言に、サイタマはガツン!と勢いよくテーブルに額をぶつけた。

いやそうなんだけど。その通りなんだけどよ…ともう泣きたくなってくる。
(なんでお前、フツーにそんな事言えんの)
先日とうとう気持ちを伝えて、ジェノスと自分は晴れて恋人同士になったのだ。まだ何もしたことはない
が。既成事実はひとつもなかったが。
そんな相手に 『交際はしてなかったけどセフレはいたんですね?』 と確認してくる19歳がよく分から
ない。
いや、この弟子の思考がかっとんでいるのは今に始まった事ではなかったが。


「お前、なんでそんな事聞くんだよ。嫌じゃねえの」
「…?何がですか先生」
「何がってよ、俺とお前付き合ってんだろこの間から。それってその…俺が好きだって事じゃねーのか」
「勿論です。俺は世界で一番、先生をお慕いしています」

他人には絶対に見せないような笑みで口元を綻ばせ、大好きですと追いうちをかけてくる弟子に、サイ
タマは二人を遮るローテーブルを叩き割って屋外へ投げ捨てたい衝動にかられた。
サイボーグとか弟子とか男とかどうでもいい。とにかく死ぬほどかわいかった。
だが見た目は普通にしているのが仇となり、ジェノスには師の煩悶は全く伝わっていなかった。

「そうですね…先生が過去に誰かを愛されたのかと思うと、俺には心臓はないですが、胸が痛いような
思いがしますし、嫉妬もします」
ふ…とジェノスは目を伏せた。ずっと忘れていた細やかな感情。機械の自分にはふさわしくないと思っ
ていた。
それは正のものもあり負のものもある。
自分はキレイなものだけを抱いてはいない。それはサイタマも同じだろうと感じた。

「でもここが痛くても、俺は自分の知らない先生が知りたくなりました」
「ジェノス」
「そっちに行ってもいいですか、先生」
「お、おう…」

テーブルをどけ、来い来いと手招きすると、ジェノスは嬉しそうにサイタマの傍に来て座り直した。
金色の目が近くて、キレ―な色だなと見惚れる。
もっと近づきたくて髪を撫でると、そのままジェノスはサイタマの肩口にそっと額をつけた。

「過去に何人と交際したかなんて、何故聞くんだって仰いましたよね」
「ん、分かんねーから教えて」
「先生は俺より6歳も年上で、大人の男性です」
「まあそんな立派なもんじゃねーけどな。そんで?」
「俺は、サイタマ先生の中に俺が貰えるような “初めて” がまだ何か残っているのか、それが知りた
かったんです…」

めったに動揺を覚えない心臓が、ドクリと動いた気がした。
なんだよ、と思う。
何言ってんだ。俺も誰か好きになったのなんかお前が初めてだっつーの、と笑いたいような泣きたい
ような気分で、サイタマはジェノスの体をかき抱いた。
固くて冷たい機械のボディだ。なのに、これほど温かな想いが自分のために差し出されている。

「あのな俺、付き合ったのジェノスが初めて」
「そうなんですか、とても嬉しいです。俺が先生の初めての恋人なんですね…」

噛みしめるような声。
嬉しいから、もう余計な情報は抹消することにします、と腕の中でジェノスは人が悪そうに少し笑った。
そっか、コイツ、俺から欲しいものがあるんだなとその時知った。
自分だって欲しいものがあるんだから、考えてみれば当たり前の事だった。

「ノートに書いとけよ」
「え?ああその『先生がかつて交際した人の数』ですか」
「一人!俺!って書いとけ」

弟子は笑み崩れると、手を伸ばし大事なノートを手元に引き寄せた。
赤いサインペンと共にそれを渡され、俺かよと言いながらサイタマは大きくそのページに記入してやった。
一人。ジェノス。初めて。おまけに大きな花丸を添えて。