「よし、ジェノス。今日はまず月に一度の袋詰めセールに行くからな!」
「はい先生。しかし袋詰めセールとはいったい…?」

いつも平熱なサイタマにも、日常において血が熱くなる戦いを繰り広げる時があった。
いやむしろ怪人と戦うよりも充実感があるかもしれない。負ける場合も多々あるからだ。
それはスーパーのタイムセールという戦場だった。

この世に主婦ほど強く、欲しい物に対する執着心を露わにする生き物はいない。
男は見栄をはる習性があるので、ほどほどで 『まっいいか』 というポーズをとってしまうが、彼女ら
は違う。
狭いマンションに居候をきめこんだジェノスを色々なセールに連れ歩くようになったが、育ちの良さ
そうな弟子は、最初あの光景に度肝を抜かれたようだった。
たぶん、安売りというものに行ったことがないのだろう。
それでも、『先生!俺が堰止めている間にお早く!』 と漫画みたいに体を張ってサイタマの突入する
道を作ってくれていたのには目頭が熱くなったが。

「うんあのな。ビニール袋の中に詰めるだけ詰めて200円とか300円とかそういうのだ」
「なんと!それではたくさん上手に詰められた者の勝利ということですね?」
「おう。でも別に袋からはみ出ててもいいんだ。そこは弱気にならずに会計の時に 『入ってます!』
アピールすんだぞ?お前もこれまでの戦いで図々しくなることを学んだはずだ」
「分かりました。それに俺の眼の機能を使えば、むらなく詰めることは可能です」
「勝ったも同然だな!」
「はい先生!!」

まずはじゃがいもの詰め放題に行って、後でエビのやつに行こうぜとサイタマは珍しくウキウキした
様子だ。
これは俺も活躍しなければいけない、とジェノスは固く拳を握りしめた。
喜怒哀楽が表に出ない師がこれほど楽しみにしているのだ。戦果をあげなければ弟子として傍に
いる意味がない。

(それにエビなどという高級食材を買うのは、俺がここに来て初めてのことだ)
すっかり貧乏暮らしに慣れてしまったジェノスにとって、それは途方もない贅沢に思えた。
先生は何を食べたいのだろうと考える。エビチリか。それともエビフライなのか。エビマヨという変化球
もある。
もうこうなったら群がる客をなぎ払ってでも、エビを手に入れるしかないと誓った。
いつもの油断をウッカリ出さないようにしなければならない。


スーパーむなげやに着くと、袋詰めセール開始を前に早くも幾人かの主婦がたむろっていた。
二人が最後尾におとなしく並ぶと、『ジェノス様よ!』 『ジェノス様今日もかっこいい〜』 というざわめき
が前にいるママ友と思しき集団から湧きおこる。

「あ、あの。こんにちはジェノス様、今日は何がお目当てですか?」
「じゃがいもとエビだ」
「あっ、じゃあエビグラタンなんかいいですね!」
「そうだよね、エビといったらエビフライってちょっと当たり前すぎだし」
「グラタンか…しかしグラタン皿がないな」
「近くに安くて結構オシャレな食器売ってるお店ありますよ!えーっとHPあったような…」

慌てて主婦の一人がスマホをいじりだす。だがジェノスは盛り上がる主婦たちからさらっと目線を外し
サイタマを見てニコリと笑った。
「先生は何が食べたいですか、エビ料理。オーブンはないですが、俺の焼却砲を調整すればグラタン
ぐらい焼けますよ?」
「お、おう…」

既婚者とはいえ若い女の集団に話しかけられ熱い視線を送られているのに、お前がその笑顔向けん
のは俺かよ、とツッコミたくなった。
でも何だろう、嬉しいような、得意なような。
(いやいや普通は、女に取り囲まれてるジェノス羨ましいヤツだな!って思うとこだろこれ)
それでも、誰よりも優先されていると感じるのは何だか気分がよかった。
なんだかな…とサイタマは痒くもないのに頭をガリガリとかく。そういう経験がないせいか。
「グラタンなんてずっと食ったことねーし、それいいな」
「そうですか!では後でマカロニとチーズも買いましょうね」

ジェノス様、エビは人気なので、じゃがいもと別々に攻略する方がいいですよ!私たちとエビに行きま
しょうと周囲の主婦がまた話しかけている。
そうか肝心のエビを買えなかったら元も子もないな…と頷き、弟子はどのように走るべきかや詰める
コツを伝授してもらい始めた。

何となく手持ち無沙汰になったサイタマは、他の主婦に向かって「アイツとよく話すんのか」と聞いて
みた。
すぐに何人かが食いついてくる。
「いや〜話するって言うか、私らが勝手に話しかけるっていうか」
「最初スーパーで見かけた時、びっくりしたよね」
「でも口数は少ないけどジェノス様、ちゃんと答えてくれるし、なんかイケメンと話せただけで人生華や
ぐっていうか?」
「分かる!あとジェノス様、真面目さが滲み出てて、こう言ったらなんだけどちょっとかわいい」
「そうそう!母性本能くすぐるよね。一生懸命で」

そういえばコイツら、俺のことも知ってるみたいだな。それにその辺の市民みたいに、いきなりハゲ!
インチキ野郎!とか言わねえのな…とふと思った。
普通見知らぬ人間にぶつけるような台詞ではないが、悲しいかなサイタマはそういった罵詈雑言に
慣れてしまっていた。だがこの主婦たちは、気のせいか自分にも好意的な雰囲気だ。

「俺のこと、何か言うの」
「先生だよね!すっごい尊敬してて、この街をいつも守ってくれてるヒーローだって」
「ハゲマントさん、なんかよくヒドイこと言われてるけど、ジェノス様が言うんならそっちが正しいんかな
って」

イケメンの布教力すげえな…とサイタマは感じ入った。汚れたイメージも瞬時に真っ白だ。
だが、それだけじゃねーんだろうな、とも思う。
主婦に囲まれ、言われ たことにいちいち頷いているジェノスの顔をちらりと見やった。
コイツが暑苦しいぐらい真剣だから、それに触れた奴も信じていいって感じるのかもしれない。
(いいヒーローの資質ってやつか)
だとしたら、一応は先生って呼ばれてる俺も自慢に思ってやるべきかもな…とこっそり笑う。



戦い済んで日は暮れて。スーパーの諸々のセールに勝利したサイタマとジェノスは家路を辿っていた。
教えてもらった店に寄り、グラタン皿もふたつ購入することができた。
また先生と揃いの食器が増えたなとジェノスは何となく嬉しい。
ただ食べる分には何を使ってもいいのだが、食事は見た目も大事だぞとサイタマから教わった。
確かに味は良くでも乱雑に盛られていたり、煮崩れてボロボロでは食欲もうせる。
今日のグラタンも美味しそうに作らなければと心に決めた。師は喜んでくれるだろうか。

「あれ、なんかエビ多くねーか」
「ああそうなんです。一緒に行ったあの主婦たちが、もうひと袋タダで分けてくれたんです。先生エビ
フライも食べたそうな顔してたよって」
「マジかよ…」
思わず自分の顔をつるんと撫でる。確かにあの時、『当たり前すぎでもエビフライはやっぱうめーよな
』 とちょっと思っていたのだ。恐るべき洞察力だ。

「今日はエビグラタンの中に薄く切ったじゃがいもを敷いて焼こうかと」
「すっげー美味そう。天才だなジェノス」
「それも教えてもらいました。主婦というのはあんなにいつも家族を喜ばせる事を考えているんです
ね…」

日が傾いてきたいつもの道をサイタマと二人で歩く。懐かしいようで、もう過去の記憶は曖昧になって
いた。
だが、今の自分には喜ばせたいと思うこの人がいる。
深い充足感。
そして家族を大事にするあの女性たちの暮らしも守っているのだと感じると、どこか誇らしかった。

「俺にも、喜んでくださる先生がいてよかった」
茜色の暖かな光。少し先をゆくジェノスが振り返り、微笑みながらそう言った。

買い物袋をぶら提げたサイタマは立ち止まり、何度もまばたきをした。心臓が打つ。早鐘のようだ。
こんなキレイなもの初めて見たと思い、しかもぜんぜん撤回する気にならなかった。
10秒待っても、20秒待っても。
心臓まで届いたのは、ジェノスの偽りないただまっすぐな思い。
だから自分も、どんなに変だと思ったとしても、誤魔化すのはヒーロー失格だった。
とっさにだが、それだけは分かった。

「……ジェノス」
「はい、先生?」
「お前、今の笑った顔、すげーキレイだった」

思いもよらぬ瞬間に突然動くものがあるんだと、その日二人は同時に知った。
そう、それが何という事のない日常のひとコマでも。
色気のないスーパーの買い物袋に両手を塞がれた、タイムセールの帰り道であったとしても。