九条家の長い廊下を駆け抜けてくる足音に気づいて、座敷に寝そべっていた使い魔は、
おや?といぶかしんだ。


主がいかにもどうでもよさげに彼の姿かたちを決めてしまったせいで、今現在の彼は、翼の
はえた獅子というファンタジーな外見だ。
体が大きい上に、一般の人々に見られるといろいろアレな姿なので、この屋敷の奥まった
場所にある広い座敷を与えられていた。

まあ、実のところ姿は好きに変えられるので、主の不在の時は猫などのあたりさわりのない
生き物になって外出していたのであるが。
できればこの燃費の悪い形状だけはやめにして、もう少し軽やかな姿になりたいものだと
思ったりもしていた。

だが悲しいかな、その頃の彼は、世界で唯一の存在である自分の主と、あまり仲良しとは
言えなかった。
だから、学校から帰った主がまっすぐにこの部屋にやってきたことに驚いたのだ。
いつも、ここにはめったに来ないし、話しかけてもくれないのに。


だが、今年9歳になる明仁がイキナリ襖を開けて入って来た時には、やはり嬉しかった。
使い魔はどうあったって、自分の主が大好きなものだ。
明仁は、余所の子供と比べても段違いに品がよく、可愛らしく賢そうだった。
そんな明仁が密かに自慢だったし、できればいつも子供らしい笑顔でいてほしかった。

だが、九条家の除霊師としての能力を持って生まれた彼は、自分の能力や役目を嫌い
いつもイライラしたり、陰鬱な顔をしていた。

どうにかしてあげたいと切実に願い。
だが、自分の存在が一番彼を苛立たせていると分かっていたから、もう少し大きくなられる
までは待っていてあげようと心に決めていたのだ。


そんな明仁は、傍らにランドセルを放り出すと、使い魔の前にぺたんと膝をついた。
こんなに暑い日なのに、ずっと走ってきたのだろうか。
ひどく興奮した様子で、はあはあとまだ息が整わない。

「おかえりなさい、主。外は暑かったみたいですね。ほっぺが真っ赤ですよ」
部屋には心地よくクーラーが効いていたが、羽を広げてばさばさと扇いでやると、明仁は
ほっとしたように目を細めている。

「なにか飲んでいらっしゃい。汗かいてるから着替えた方がよくないですか?」
だが、明仁は首をふると、突然、使い魔の前足を両手でぎゅっと握った。
彼が自分に触ってくれること自体、本当に珍しい。
なにかあったのだろうかと今度は心配になってきて、目を覗きこんだ。

「あ…あのさ!」
「はい??」
「今日さ、椿おばさんの赤ちゃん、見に行ったんだ」
「ああ、先日お生まれになったんですよね。椿さまにおめでとうを言いに行ったんですか?
お優しいですね、主は」

考えてみれば、明仁は九条家の従兄弟たちの中で一番年下であった。
兄弟も、兄が一人いるだけだ。
自分より年下の子供が生まれて嬉しかったのだろうか。
きっと、ちょっとお兄さん気分になったのかもしれませんね、と使い魔は考えた。

「椿さまの赤ちゃんなら、さぞかし可愛らしいでしょうね。男の子だってお聞きしてますが」
「うん!郁ちゃん…郁実っていうんだ」

明仁は先ほど放り投げたランドセルから、ノートを一冊取り出した。
一番後ろのページを開くと、そこにはマジックで大きく『郁実』と書かれている。
椿に書いてもらったらしい。

これは自分に見せたくて、わざわざ名前を書いて持って帰ってきたのだろうか。
そんなに赤ちゃんが気に入ったのかと微笑ましい気持ちになり、明仁を眺めやると、彼は
突然、ものすごい事を言い出した。

「俺、これからはずっとずーっと郁ちゃんと一緒に暮らすから、おまえにも来てほしいんだ」
「………はい?主、今なんて…」
「細(ささめ)おじさんが結界張ってるとかいうけど、郁ちゃんは俺たちが守ってあげなきゃ
いけないだろ」
「あのー…すみません、主。なにをおっしゃってるのかよく……」


とまどう使い魔の様子に、明仁は自分が重要な部分の説明をすっ飛ばしたことにようやく
気づいたようだ。
ひどくもどかしそうに、だが嬉しそうに言いつのる。

「そっか、だからさーつまり、大きくなったら郁ちゃんには幽霊が見えるようになるんだって」
「ええ!?」
「じいちゃんがそう言ったって、椿おばさんが教えてくれた」
「それはつまり…15代目の霊視能力者として認定されたと…」
「でも言われなくたって、俺、分かったよ。郁ちゃんを見た時にそうなんだってすぐ分かった」


光が射したように、明仁の眼差しは明るくしっかりとしたものになっていた。
自分の主は本当はこういう人だったのかと、使い魔はその急激な変化に胸をうたれた。

大切なものに出会ったから、もう迷うことはない。
もうなんにも怖くなんかない。
それは言いかえれば、明仁が自分の負った宿命をこれまでどんなに恐れていたか、吐露
しているということでもあった。

他人とは違う自分が怖いのだと。
お願いだから怖がらないで、と言葉にも出せなかったこの人が。
今、同じ星の下に生まれ落ちた幼な子を、守りたいと思い始めている。


「しかし霊視能力者は代々、思春期を迎えてから能力が覚醒するもののはず…生まれて
すぐに能力を認められた例などかつて聞いたこともありません」
「それは郁ちゃんが、特別な赤ちゃんだからだろ」
「はあ…」
「おまえ、まだ見てないから分かんないんだよ。郁ちゃんは宇宙一かわいい赤ちゃんで、
なんだって特別製なんだよ」

そこまで断言されると、もう懐疑的になっている自分がアホらしい気がしてきた。
明仁は祖父の能力認定ではなく、自分の感覚を信じているようだ。

「郁ちゃんはまだあんなにちっちゃくて怖いものがいても怖いって言えないから、俺はいつ
だってそばにいて守ってあげるんだ」
あ、もちろん、郁ちゃんが大きくなってからもずっとだぞ!と明仁は言う。


この急展開に使い魔はひどく困惑してもいた。
その赤ちゃんと一緒に暮らす…?椿の家に住むということか。
いったいそんなことを、明仁の両親が許すと思っているのだろうか。
いや、しかし明仁の父親は素晴らしくフリーダムな人なので、案外言ってみないと分から
ないかもしれない…

それにもし明仁が言っているのが事実だとしたら、その赤ちゃんは…郁実さまといったか。
その方は。
自分のもう一人の主ということになるではないか…
だとしたら、もちろん明仁と共にお守りしたいに決まっている。
いくら細やその使い魔である山茶花(さざんか)が椿の家を強力に守護しているとしても、
他人任せにしていいはずがない。


うっかり考えこんでしまったのがまずかったらしい。
勢いこんでいた明仁は、こちらをじっと見ながら今度はだんだんしょんぼりし始めた。

「俺のこと、怒ってるんだよな。勝手な奴って思ってるんだろ」
「ええっ!主、なに言っちゃってるんですかー!?」
「だって俺、いっつもおまえのこと無視してたし、放りっぱなしで名前だってつけてやらなか
ったから…」

一応は気にしていたらしい。
そんなことも今日初めて知った。自分と明仁の相互理解への道は険しそうだ。

ごめんなさい、と明仁は俯きながら何度もつぶやいた。
せっかくさっきまでキラキラした顔で笑っていたのに、またそれが曇ってしまう。
花がしおれてゆくように。
たまらなくなった使い魔は、羽を広げるとそれでもって明仁を自分の方へ引き寄せた。

「さあ、もっとこっちにいらっしゃい、主」
短いが柔らかな毛の生えた腹のあたりに抱えこんでやると、明仁はぎゅうっとしがみついて
きた。
本当は、分かっていた。
自分が主を思うように、主も自分の使い魔を嫌うはずがないのだと。

「私は明仁さまのことが大好きですよ。どうして怒ったりするんです」
「だって今さら、俺がしたいことを一緒にやれなんてやっぱ勝手だもん…怒ったって当たり
前だ…」

使い魔の羽が、小さな明仁の背中をパタパタとたたく。
同じリズムで、明仁がごめんごめんと繰り返す。
腹のあたりが涙で濡れているのを感じながら、使い魔もまた涙をこらえた。


これまで、待ってやることが一番彼のためになるのだと思っていた。
だが、無理やり泣かせてでも感情を露わにさせた方がよかったのかもしれない。
うるさいって怒鳴られても、扉を叩いて、何度でも。
そうしたら、少なくとも明仁は孤独を感じずにすんだのではないか。

たくさんの人に囲まれていても、この子は寂しかったのだ。
だから、やっと見つかった大切な人には寂しい思いをさせたくないと願っている。
世界のどこを見回しても、味方がいないなんて思わせたくないのだろう。

そんな風にして彼の心をすんなりと開いたのは。
生まれて間もない、小さな赤ちゃんだったようだ。


「主、私は主の行きたい所ならどこへでもご一緒します。だから、どうしたいのかもう一度
おっしゃってください」

ぐっしょり濡れてしまった腹のあたりからもぞもぞ起き上った明仁は、泣きはらした顔では
あったが、それでもどこか決然としていた。
この幼さで、この先のすべてを決めてしまうのが、良かったのか悪かったのか…
だが、ごく稀にそういう生き方をする人間もいるのだ。
それはもう、どうにもならないことだ。

「俺、郁ちゃんといっしょにいたい。役目とかそんなんじゃなくて」

それならば、と使い魔は思った。
それならば私は、あなたの願いを叶えるためにずっとついて行きましょう。
あなたのそばにいることは、私のもう一人の主を守ることにもなるのでしょう。

それがたとえ平坦な道ではなかったとしても。
あなたが幸福だというのなら、そんなことはどうだって構わないではないか。


「わかりましたーじゃあ椿さまの家に住めるように、お父上に頼んでみましょうね」
「ほんとに?」
「ほんとです。あと、私も早くその郁実さまにお会いしたいです!」
「あっでも、きっとこの姿だと郁ちゃん怖がるんじゃないかな。でっかいんだもん」
「そうですね…このままだと外出もしにくいし」
「もっとかわいいやつに変えてくれるか。頼むから!お願いします!」

がばっと頭を下げる明仁を見て、使い魔はおやおやと苦笑した。
(ほんとに大好きなんですねえ…)

明仁もまだ子供だったから、この気持ちがこれからも持続するものなのかはまでは確信が
持てなかった。
それでも俯いてばかりいたこれまでよりはずっといい。

「いいですよ。郁実さまはどんな姿がお好きですかね。あ、それと主」
「なに?」
「私に、名前もつけてくださいね」

かわいいのを、頼みますよ。
茶目っけたっぷりにそう告げると。
一瞬、目を見ひらいた明仁は、笑顔で 「うん!」と大きく頷いてみせたのだった。



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(そして、現在)

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「…それでね、郁実さまは私をご覧になって、『うっきー』とおっしゃったのですよ。『ゆ』と
最初は上手に言えなくてね…それがまた大層お可愛らしかったです」
と、ちゃぶ台の上でだし巻き卵を頬張りながら、雪うさぎが郁実に言った。

「それ、明らかにねつ造だからね、郁ちゃん」
郁実手作りのあさりの佃煮でお茶漬けをさらさら流し込みながら、対抗意識丸出しで今度
は明仁が言った。

「郁ちゃんが寝返りをうつのをじ〜っと見守っていたら、這い這いしながら俺の膝の上に
やってきてね、『あきにー』って言ったんだよ。郁ちゃんが誰かを呼んだのはそれが最初」


主従コンビの間に、バチバチッと険悪な火花が散った。
ユッキーが、卵焼きののっていた小皿をだんっ!とちゃぶ台に置く。
明仁も米粒ひとつ残っていない茶碗を置くと、厳かに手を合わせた。

頂上決戦のゴングが鳴り響いた…ような気がした。
日曜の朝っぱなから、なんでそんなしょーもないことでエキサイトできるねん、と郁実は
気が遠くなってきた。

「寝言は寝てから言ってくださいよ、主」
「おまえこそ、モウロクするには早すぎるだろ」
「学校に行ってた主とちがって、私は郁実さまとずーっと一緒にいたんです〜私が先に
呼んでもらえたに決まってるでしょうが」
「いーや、俺の育児日記にその時の詳細が書き綴られてる。俺の方が先。絶対先だった」


「ていうか、基本的なとこやねんけど、俺は最初にパパとかママとか言わんかったんか?」
隣で、悟りをひらいたような表情で朝食をとっている父に訊ねる。
すると父は、重々しい口調で郁実に告げた。

「この二人がそんなこと許すわけないやろ。あのな、郁実がぼちぼち誰かの名前を言うん
ちゃうかという時分から、お父さんはおまえの視界にも入らせてもらえんかったんや…」
「て…徹底しとるな…」
「俺はこの二人と争うことの無意味さをよう知っとるねん」
「絶対負けるってことやんな」


そうこうしている間にも、ちゃぶ台の上のユッキーはファイティングポーズをとり、明仁は
何を思ったのか、味噌汁の鍋のフタを手にとり構えている。
ほわっほわの真っ白うさぎと、外見だけは非のうちどころがない美形が睨みあう光景は
超シュールだった。

「決着をつける時が来たようだな」
「主が私に勝とうなんて笑止千万ですよ。どうせ動けなくなるんだし、今のうちに有給取っと
いたらどうですか。社会人の嗜みとして」
「俺の有給は郁ちゃんと出かけるためだけに存在するんだよ。そんなもんに割けるか」
絶対勝ーつ!と両名の声が居間に響き渡った。


「さあ、俺、新しくお茶淹れなおしてこよっかなー」
だが、目の前で繰り広げられる覇権争いを華麗にスル―して、郁実はそう呟いた。
ユッキーの脇の下に手を差し入れ、ひょいっと持ち上げる。
自重のせいで、雪うさぎの体はべろ〜んと長くのびた。どう見てもちょっと格好悪い。

「イヤーッッ!郁実さま、このポーズは勘弁してください〜!!」
「郁ちゃん、頂点に立つのは誰かこの際はっきりさせた方がいいと思うんだけど」
「鍋のフタ持ったまんまで、真剣な顔でなに言うとるねん」



明仁は食器片付けてな、と言い置くと、郁実はユッキーを台所へと運んでいった。
大きなクッキーの缶の上に雪うさぎをのっけると、やかんに水を入れ火にかける。
なにも言わない郁実に気まずさを感じたユッキーは、きれいな横顔を見上げながら、少し
焦って呼びかけた。

「あのっ!郁実さま…その、ごめんなさい…」
「え、何がや」
「いや何がと言われると返答に困りますが…とにかくご飯中にケンカして、お行儀が悪かっ
たです…」

ユッキーはしょぼんと長い耳をねかせたが、何故か郁実の方も慌てた様子を見せた。
「いやちゃうって。別に怒ってないから!そうやなくて」
「はい??」
「ユッキーと明仁ってやっぱ仲ええなーちょっとかなわへんなって思とっただけや」


考えてみればこの二人は、明仁が能力認定された7歳の時から一緒にいるのだ。
ユッキーいわく、郁実が生まれるまで不遇の時代もあったらしいが。
もう長年連れ添った夫婦みたいなもんやな、と郁実は思う。
そんな二人がケンカをしても、真面目に受けとるのは野暮というものだろう。
(夫婦喧嘩は犬も食わんて言うしな)

だが明仁もユッキーも、郁実にはあんな風にざっくばらんに接してくれない。
二人を見ていると、ケンカもするけど気心が知れていると分かるから。
それがちょっとだけ羨ましかった。
自分がどんなに大事にされているかを思うと、ただのないものねだりなのだが。



クッキー缶の上で妙にアワアワする雪うさぎに、郁実はかがみ込んで笑いかけた。
「簡単に言うとな、ちょっとヤキモチやいてるってことや」
「なんと…!ヤキモチですか!で、それは私と主のどちらに!?」
「えっ…」

問い返されてびっくりした。そう言われてみるとそうだ。
妬くというのは、好きな人が他の誰かと仲良くしてるのが気に入らないということで。

明仁にとってのユッキーのようになりたいのか。
ユッキーにとっての明仁のようになりたいのか。

どっちもやろ、と思った瞬間にもう、自分が嘘をついていると郁実は悟っていた。
胸の真ん中にある軽いモヤモヤ。
それはうっすらとしたものだけれど、ちゃんとした意味がある…そんな気がする。


「郁実さま」
ふと見れば、小さなうさぎは抱っこをねだるように前足をこちらに差しのべていた。
無理に答を出さなくていいですよ、と言うように。
混乱した気持ちのまま、郁実はその暖かな体を抱きあげ、抱きしめた。
頬に触れる柔らかな毛並みが心地よかった。

「大好きや、ユッキー」
「私もですよ。郁実さまが大好きです」

だからいいのですよ、私はお二人の一番でなくても。
そう、使い魔は心の奥底でつぶやいた。
強がりでもなく、あきらめでもない。
ただずっとずっと、離れずにそばにいる。幸福を願いつづける。
愛がなにかを教えてくれた人たちに、自分も同じものを返しつづける。



「郁ちゃん、おじさん夜までぶっ通しで仕事するって言ってるよー」
その時、食器を積み上げたお盆を持って、明仁が台所へと入ってきた。
「なんか今晩、小早川が原稿とりに来るらしいんだよ。日曜なのに空気読めよと…」

ボヤきながら台所ののれんをくぐった途端、郁実がユッキーをぎゅうっと抱っこしたままで
固まっているのが目にとまった。
なんだかラブシーンに踏み込んでしまったような気まずさだ。
これがユッキー以外なら、相手が誰であれ ちぎって投げてるな、と明仁は考えた。

「どうしたの、二人して」
とっさに動けなかったらしい郁実に近づき、まずはシュンシュン音をたてていたやかんの火
を止める。

「な、な、なんでもないねん!!」
「すごくどもってるよ、郁ちゃん」
「なんでもない言われたら、大人なんやからスル―しとけや!」
「いやだって、困ってる郁ちゃんて異様にかわいいから、つい」

いや、怒っていてもかわいいが。
笑っていたりするともう、言葉で形容するのが不可能なほどだが。
そんな明仁の脳内のとめどない郁実萌えを読み取ったか、ユッキーがわざとらしく話題を
変えてきた。

「休日なのに来られるんですか?小早川さんも熱心ですねえ」
「あいつの魂胆は分かってる」
「魂胆てなんやねん」
「こないだうちで郁ちゃんの朝ご飯を食べたのに味をしめたんだよ。明らかに夕飯にまぎれ
込むつもりだ」

義春の担当編集者である小早川が、人畜無害そうな笑顔で郁実の作った朝食を食って
食って食いまくっていたのを思い出す。
『こんなウマイもん、久しぶりに食いましたー!!』とはしゃぐ姿に悪寒がしたものだ。
どうあっても今日はヤツをだしぬいてやらなければと明仁は決意していた。



「というわけで。今日は俺が夕食当番だろ。車出すから昼は遊んで夜は外食してこようか、
郁ちゃん」
USJ行く?それとも神戸?ちょっと足を延ばして明石海峡大橋とか見るのどう?
矢つぎばやに訊いてくる明仁に、とまどわされる。

「え、でも、父さんの晩御飯とか…小早川さんも休みにわざわざ来てくれはるんやし…」
「それこそ、大人なんだから何とでもするよ。出前でもとればいいし」
「そやけど…」

口ごもってから、郁実ははっとした。
明仁もそうだが、ユッキーもかなり気ままな性格だ。
自分のこういう八方美人みたいなとこは、あまり好かれないかもしれない。

「俺、誰にでもええ顔しすぎかな…」
「みんなを気にかけてくださるのは、郁実さまの良いところですよ。だから、このお家はいつ
だって居心地がいいんです」
「そうそう。だけどね、たまには自分のしたいことを優先していいんだよ。我慢ばっかりする
ことなんかない」

そう言って、明仁は手を差し伸べてきた。
控え目な強引さ。いつものことだ。
この人の誘いを断れる人間なんか探したってどこにもおらんやろ、と郁実は思う。
すんなり心に入ってくるから、自分も結局負けるのだ。
それが、なんだか心地いい。


「さあ、早く。郁ちゃん、逃げ出すよ」
「3人で?」
「そうだよ、3人で。郁ちゃんの行きたいところなら、どこへでも」

はしゃぐ雪うさぎを腕にしっかり抱いて、明仁に手を引っ張られると、本当にどこへでも
行ける気がするから不思議だった。
俺らってほんまに無敵なんちゃうか…と笑みがこぼれる。
だがその幸福を支えているのは郁実なのだと、明仁とユッキーはよく分かっていた。


いつの間にか先に立ち、明仁の手を引っ張っている。
あんなに小さかったはずの愛し子が、しっかりとした足取りで歩いてゆく。

それは主と使い魔にとって、いつか見た夢が本当になったかのような光景だった。