(きれいな色だなぁ……)

さっきまで解いていた補修のプリントから解放された沢田綱吉は、自分仕様に甘く淹れられた
カフェオレを味わいながら思った。

ぼんやりと見入っている先には、ツナの気を惹くものがある。
向かいに座っている人物の瞳の色だ。
灰色に碧が溶け込んでいるそれは、日本人が絶対に持たないような光彩だった。



普段ならツナが目を覗き込んだりしようものなら、大変なことになる。
彼は、それはそれは期待と喜色に満ちた眼差しで、自分を見ることだろう。
尻尾がついていれば、絶対ちぎれるぐらい振っていると思う。

『御用ですか、10代目ー!?』
という大声が、ツナの耳に聞こえたような気がした。
……無論、幻聴ではあったが。

そういう時、気おくれした自分はいつも、『いや…あの…なんでもないよ、獄寺くん……』と、
ごにょごにょ口ごもるのがせいぜいだ。


だからツナは、よく考えてみると獄寺の顔をじっくり見たことがなかった。
ぼんやりと「カッコよくて、女の子にモテる顔」と認識していたが。
(睫毛も、髪と同じで灰色がかってるんだ)

現在、プリントの添削を一心不乱にやっている獄寺は、自分に注がれる視線に気づかない。
それをチャンスと思い、ツナは遠慮なく彼を観察した。

プリントに正しい解き方をシャーペンで書き込んでいる手。
大ぶりの指輪がいくつもはめられたその手には、ところどころ火傷の跡があった。
彼がいくらダイナマイトの扱いに慣れていても、こういう怪我は避けることができないのだろう。
火傷しては治りを繰り返しているらしく、皮が厚くなっている部分が目をひいた。


そして右手の中指には、ツナの見知った指輪があった。
ボンゴレの守護者の証。
彼の名前からも連想させられる属性……嵐のリング。

ふいに、悪寒にも似たものが背筋を駆け抜けた。
彼が、このリングの争奪に命を賭け、もう少しで死ぬところだったのを思い出したのだ。
(あんなの、もう二度といやだ)
思わずぶるぶるっと首を振る。

失いたくないと思うほどには、獄寺はとっくにツナの大切な人間になってしまっていた。
あんな風に命を粗末にされるぐらい、ツナにとって恐ろしいことはない。
獄寺が生きて目の前にいることに、安堵の念が押し寄せてきた。
…たとえその平穏を守るために、また否応なく戦うことになったとしても、だ。



…出会った頃に比べれば、彼を怖いと思う気持ちは減ったと思う。
だがなんだって彼が自分にこんなに心酔するのかは、未だによく分からない。

以前よりは少しはマシになったけれど、自分は勉強も運動もできる方とはいえない。
臆病だし、気のきいたことも言えないし。
今日だって、テストの点が悪かったから補修のプリントが出たのだ。

(呆れそうなもんなんだけど、フツー)
失望されるのは、やっぱり怖いな、とツナは思った。
彼はなんだってできる人だから、いつか分かってしまうんじゃないだろうか。
自分が、ダメツナと呼ばれていた頃から、ほんの少ししか変化してないって事を。


だが、どうやら獄寺はツナに『できない事がある』のも大歓迎のようだった。
「もっとオレを頼ってください、10代目!」が彼の口癖だ。

今日も、プリントの分からないところを教えてくれない?と頼むと、天にも昇るような顔をしていた。
山本が「オレにも教えてくれよ、獄寺〜」と言うと、さんざん毒づいていたが。
(へんなの。オレ、手間ばっかかけさせてるのに)


…だけど、その時の顔はちょっと可愛かったなと思う。
獄寺がああいう笑顔を見せるのは、自分にだけだ。
とくべつに誰かに好いてもらえるというのは、ツナにとっても、すごくとくべつな事だった。

(ああいう風に笑ってるのは、好きかも…)
男の自分限定であんな笑顔を振りまくのは、どう考えても資源の無駄づかいのような気がしたが
それでも嬉しくなる。

なんとなくふわふわした気分で、ツナは先ほど与えられたスナック菓子の袋に手を伸ばした。
そういえば、前にこれを好きだと獄寺に言った覚えがあった。
シンプルで趣味のよい獄寺の部屋に、その袋は全然似合っていなかった。
だが彼は、自分が来ると知って、ちゃんと用意してくれていたらしい。

(獄寺くん、こんなの食べないくせに…)
彼の顔を見つめながら、そう思う。
いつしかツナはおかしくてたまらないというように、笑みくずれてしまっていた。



(10代目…カンベンしてほしいっス……)
一方の獄寺は、表面上はプリントの添削に没頭していたが、内心それどころではなかった。
大切な、敬愛する彼が、さっきからじいっと自分を凝視している。
主に顔や手に視線が当たっているのを感じ、獄寺は泣きたくなるほどの緊張感を覚えた。

心臓がバクバクいう音の方が、シャーペンの走る音より余程大きい気がする。
絶対、10代目に聞こえてるに違いない、と獄寺は確信していた。
そう思った途端、頭に血が上ったのか、耳まで熱くなったのを感じる。


もともと獄寺の忠誠心は行き過ぎの感がありまくりだったが、そこに「好き」が芽生えるまでに
大した時間はかからなかった。
だが、大切な10代目に触れたいだの抱きしめたいだの愛してるだの言語道断である。

獄寺は自分の中のヨコシマな気持ちを、踏んで踏んで踏みまくった。
だが麦は踏まれて起き上がる事で、より力強く成長するという。
どうやらそれと同じだったらしく、獄寺の恋心は本人も操作不能なほどに立派に育ってしまった。


(だって、好きになるだろ、普通はよ!?)
沢田綱吉と最初に会った時、弱くて情けない奴だと思った自分を、今の獄寺は穴を掘って埋めて
しまいたい気分だ。

ボンゴレ10代目候補の彼を試したいというだけで突っかかっていった自分を、彼は身を挺して
庇ってくれた。
死ぬ気弾を撃たれていたとはいえ、素手でダイナマイトの火を消したのだ。
痛くなかったはずはないのに。

その心根の優しさと、つよさに感じ入った。
あの時、ボスの器に何が必要なのかということが、自分にははっきりと分かったのだ。


一生、彼について行こうと決めた。
彼が素晴らしいひとだという事は、自分一人が知っていればいいと思っていた。
だが現実には、そうは問屋がおろさなかった。

彼の優しさや暖かさ、そして仲間を守ろうとする心は、まるで闇に灯った明かりのようで。
あっという間に、周囲は彼を慕う人間だらけになってしまったのだ。

獄寺とて、彼が大勢に慕われるのは誇らしい。右腕冥利に尽きると思う。
だが今や、あまりの人数の多さに、彼と二人きりになる時間などほとんどありえなかった。
今日のこの日、獄寺の部屋で二人で勉強しているなど奇跡みたいなものだ。
(どいつもこいつも、どいつもこいつも、10代目を好きになりやがって!)



ちなみに獄寺は、普段のツナが勉強や運動ができるとは言えないことについて、全くもって
意に介していなかった。

むしろそれは、彼のチャームポイントだと固く信じていた。
完璧な人間などつまらないし、彼が何でもできる人なら、自分の出る幕がないではないか。
瑣末な事は、部下に任せていればいいのである。

だいたい、ヒーローというものは普段は平凡な感じなのがお約束だ。
(…いや、10代目は普段から素晴らしいがな!)
律儀にも獄寺は、自分の思考にきっちりと訂正を入れた。


それに今添削したプリントは、大半はちゃんとできていた。
獄寺が教えたことを、彼はゆっくりとだが飲み込んで、次には正しく解くようになる。
それが嬉しくて嬉しくてたまらない。
オレは今、10代目のお役に立てている!という実感に、獄寺は感極まって涙ぐみそうになった。

要するに、彼が理解できるように教えられない教師が無能なのだ。
(日本の教育制度はどうなってんだ、まったく!?)
なんと嘆かわしいことだ。
もういっそ、来週から自分が教壇に立ったらどうだろう、と獄寺は静かに不穏なことを考えた。



その間も、彼の視線は獄寺の上をいったりきたりしている。
時々、カフェオレを飲んだり、スナック菓子をぽりぽりと食べる音が聞こえてきた。
そんな物音から、彼がこの部屋でくつろいでくれているのだと感じる。

だが一方で、獄寺の緊張感はピークに達しようとしていた。
もはや、首がダルくて、プリントを見つめ続けるのは不可能に近い。
というよりも、添削はとっくに終わっていた。
動かぬシャーペンを握り締めたまま俯いていたら、彼にヘンだと思われるに違いない。


敵に向かってダイナマイトを投げつけている瞬間にも感じないような恐れに悩まされながら獄寺は
ギギギギギ…とひきつるように頭を持ち上げた。
途端に、向かいに座るツナと視線がまともにぶつかってしまった。

しかも、しかもだ。
ローテーブルを挟んで、膝をくずし、小ぢんまりと鎮座した彼は。
何が気持ちを和ませたのだろう。 とても優しげにふわりと笑っていた。

比喩でも何でもなく、獄寺は心臓がゴトッと音をたてて自分の足元に落ちたような気がした。
男にこんな褒め言葉が喜ばれるはずもないが。
本当に、本当に、きれいだと思った。

(……好きです、好きです、10代目!)
獄寺は、超高速モードでアイラブユーを100回ほど絶叫した。
無論、心の中でだったが。
心の中だけで済ませることができたオレを褒めてやりたい、と真剣に思った。



「ど、どうかしたっスか、10代目」
「え…どうって?」
「いや、オレなんかヘンですか。じっと見てたから」

改まってそう指摘されてしまうと、自分のやっていた事がかなり恥ずかしいような気がした。
だがツナは、やっとこっちを向いてくれた獄寺に何を見ていたかを言いたくなった。

「いや、あのさ…獄寺くんの目の色、きれいだなぁって思って」
「……えっ…オレのですか」
「うん。灰色に碧って、なんか森の中の湖みたいだ」

獄寺が心の中で悶絶しているとは露知らず、ツナはにこりとまた笑った。
語彙に乏しい自分にしては珍しく、上手く例えられたんじゃないかと思ったのだ。


だが獄寺は、顔を赤くして 「め、滅相もない、オレなんか!」と首をぶんぶん振っている。
それが謙遜とか遠慮なんだろうな、というのは分かった。
だけど、それでも。
なんだかツナは、心のどこかがしぼんだような気持ちになってしまった。

(……笑って、ほしいのに)
(よろこんでほしくて、言ったのに)

「獄寺くん、そこは 『ありがとう』 って言うんだよ」
「えっ…」
「あ、いや、強制するつもりじゃないけど、ありがとうって言った方がいいんじゃないかなって…」
「10代目…」


気恥ずかしそうに俯いてしまった彼に、獄寺は今またひとつ教えられたように感じていた。
彼はとてもまっすぐな人だから。
この瞳の色をきれいだと、本当に思ったのだろう。
だから、そう声に出して言ってくれたのだ。

いつもどおり、一生懸命に。
(…なのにそれを否定するなんて。バカか、オレは!)


「ありがとうございます、10代目」
「獄寺くん……」
「そんな風に言われたの初めてっス。オレ、日記に書いときます!」
「えっ、獄寺くん、日記つけてるんだ!?」
「いや、今日から書きます!10代目のお言葉は残らず書き記しておきますので!」
「えーとそれは…いったい何に使うのかな…」

ツナ特有のツッコミが弱々しく入ったが、ウキウキした顔の獄寺を見ているうちにやがて、「まあ、
いいか」と思うようになってしまった。
獄寺も、ツナの表情が明るくなったのを素早く見てとる。

さっきからツナが感じていたふわふわした気分は、いつのまにやら獄寺にも伝染したようだ。
えへへ、と照れくさそうに笑いあった。
お互いの「うれしい」が共鳴すると、不思議なほど全部が明るくなったような気がした。



「…10代目は色素が薄いですよね。髪も目の色も」
「あーうん。ご先祖にイタリア人がいるなんて知らなかったから、母さん似なんだと思ってた」
「確かに、10代目はお母様似ですが」
「そうなんだよ。父さんに似たいわけじゃないんだけど、もうちょっと男っぽくなりたいのにさ」

新しく淹れ直したカフェオレと自分用のコーヒーを持った獄寺は、片方のカップをツナに恭しく差し
出した。

奈々ゆずりの大きな瞳を見開いて力説しているツナを見て、このままでいいのにとこっそり思う。
彼の目は日本人の大半が持つ黒ではなく、もっと澄んだ甘い色をしていた。
(あれに似てんな…琥珀)


だがツナは、獄寺が大切そうに自分を見ているのにも気づかずに、かすかにため息をこぼした。
(小さい手だよな……頼りなさそう)
自分でそう思ってしまう辺りが悲劇的だ、とずーんと落ち込んでくる。
相変わらず背は低いし、体力もない。
あれだけリボーンにしごかれてるのに、強くなったなんて一度も思えたことがない。

もちろん、マフィアのボスになんか今も絶対なりたくなかった。
でも誰も、ツナの気持ちなど聞いてくれた試しがない。

(でもって、そんなのと関係なしにまた戦うことになるんだ。無理やり)

……本当は無理やりなんかじゃなかった。
自分に守りたいものがあったから戦った。そんなの分かってる、だけど。
巻き込まれてる、という感覚は未だに消えない。


ツナは包みこむように持っていたマグカップを置いて、自分の両方の掌をじっと見つめた。
じわっと湧きあがる、ごちゃまぜな感情があった。

これまで、誰も失わずに戦ってこれたのが奇跡なんじゃないか。
今まで運がよかっただけで、次はもうダメなんじゃないだろうか。
泣きたいような逃げたいような喚きたいような気持ち。
それは、普段日常にまぎらわして、ツナがなるべく考えないようにしてきたことだった。

「獄寺くん、オレ、怖いよ」
「10代目…?」
「こんな小さい手で、守れるものなんてあるのかな」


ひゅ…と自分が息を飲む音を、獄寺は聞いた気がした。
口に出すのも憚るように、ぽつりと彼が告げる、それは。
自分が自分の勝手な望みを優先して、いつも考えまいとしていた事に似ていた。

『君はマフィアのボスとしては……あまりにも不釣合いな心を持った子だ……』
あの凄惨な場で、瀕死の9代目が彼に語った言葉。
『いつも眉間にシワを寄せ……祈るように拳をふるう……』


ああ、本当にそうだ、と打ちのめされるように、あの時思った。
彼は、誰かを傷つけるようなことを本来は厭う人で。
だが今までも、本当に大変な局面でファミリーを守り抜いたのは彼だった。

押し付けられた運命に迷いながら、傷つきながら、彼は戦った。
それが、沢田綱吉という人だった。


「オレ、ほんとは人を殴るのも傷つけるのもきらいだよ…だけど…」
「……」
「だけどっ、オレの大事なひとが死ぬのはもっといやだ……だから…」

ツナの言葉の終わりが頼りなく掠れたのを聞いた瞬間。
獄寺は、二人を隔てていたローテーブルを躊躇なく横へと押しどけた。
ガチャン!と何かが倒れたような音がしたが、そんなことはどうでもよかった。

「ご、ごくでらくん?」
獄寺が怒ったとでもカン違いしたのか、彼は少し脅えたようにこちらを見ていた。
「がっかりしたよね…ごめん…」
俯いた彼のきれいな琥珀色の目に、うっすらと滲んだものを認める。

(ああ、お願いです)
(そんな風に泣かないでください)
(あなたを悲しませないためにオレはいるのに)


「10代目」
そっと。
どこもかしこも大切に思っていると伝わるぐらいに、そっと。

獄寺の指輪だらけの大きな手が、ツナの両手を包みこんだ。
それは確かに男にしては小さくて、だが、たくさんのものを守ってきた手だった。

「10代目の手は、誰かを殴ったり傷つけたりするためのものじゃないです」
「え…」
「敵味方関係なく差し出して、ここにいていいって教えてくださるためにあるんです」


まばたきもせずに、ツナはそう自分に言い聞かせる獄寺の顔を見つめた。
とても優しい表情をしていた。
自分は彼に大切に想われているのだと知っていたはずなのに、今もう一度ちゃんと気づいた。
包まれた両手からも、流れこんでくるものがある。


「10代目の守りたいものは、オレも守ります」
「……っ」
「他のヤツなんかアテにしたくねーっすけど、守護者もファミリーも、リボーンさんだってついてる」
「…も、もぉやだ、獄寺くんが泣かす…」
「泣いたらいいじゃないっスか」

…オレしか見てないですし?と、獄寺が間近でニカッと笑った瞬間に。

堰をきったように、ツナの瞳からぼろぼろと雫がこぼれて落ちてきた。
両手をゆるく拘束されているせいで、涙をぬぐうことも顔を隠すこともできなかった。
だから、獄寺の見ている前で、泣いた。


ヴァリアーとの戦いのあと、どうしても消化しきれなかった不安や痛みは。
澱のように心に溜まって、今も自分の中にある。
たぶん、これからだって消えることはないのだろう。

(オレはきっとまた、戦うんだ……)
諦めにも似た決意と、ほんのかすかに光る誇らしさ。
それが今のツナを混乱させ、感情を揺さぶっていた。

だけどただ、今だけは。
獄寺の手に包まれた自分の手に額を押し当てるようにして泣いた。
そうすることで、溜まった澱みは甘く溶け崩れていくような気がした。
…錯覚でもよかった。


「10代目…10代目…」
あやすように優しい声で、彼が飽きることなく何度も自分を呼んでくれる。

それはとても心地よい響きで。
(ずっとずっと、聞いてたいよ……)
眠りを誘うような安心感が押し寄せてくる。
それに浸りながら、ツナはまるで子供のように繰り返し、同じことを心から願いつづけた…




「だいぶ遅くなっちまったな。おーい、獄寺、あがらせてもらうぞ」
野球部の練習が終わった後に、補修プリントを教わる約束を(勝手に)していた山本は、カギが
開けっぱなしの玄関先からそう声をかけた。

だが山本のマイペースな呼びかけに対し、しばらく応えはなかった。
と、中から妙に焦った声で、『ちょっと待ってろ野球バカ!!』 と獄寺が怒鳴る声がする。
あと、慌てて何かをガタガタと動かす音も聞こえた。


延々と待たされた挙句、山本が部屋に入ると、ツナが可哀想になるぐらいかしこまって座っていた。
しかも、何かぼーっとしている。
顔も赤いし、目も腫れているような気がして、山本は軽く眉をひそめた。

一方の獄寺も挙動不審だった。
一応ツナと同じように座ってはいるが、目線が完全に泳いでいる。
テーブルの上には補修のプリントがあったが、隅にコーヒーらしき茶色の大きなシミができていた。


「ツナ、どうかしたか」
「え、どうって。どうもしないけど」
慌てた様子でツナは、添削の済んだプリントを山本に向かって差し出した。

「今日はもう遅いからさ、山本はこれ持って帰って使うといいよ。獄寺くん、直してくれたし」
「お、サンキューな、ツナ」
「いや、山本は野球忙しいし」
「10代目はそいつを甘やかしすぎっスよ」
「まあ、獄寺にだけは言われたくないセリフだよな」

山本は人好きのする顔で笑ったが、打てば響くようないつもの獄寺の反応がない。
部屋はまた会話が途切れ、しーんと重い空気に覆われてしまった。


やがてそれにたまりかねたように、獄寺がツナに向かって言った。
「10代目、今日は疲れたでしょうから、帰って休んだ方がいいっすよ」
「あ…うん、そうだよね」
「オレ、家まで送っていきますから」

「送っていく」と獄寺が言い出すのも毎度なら、「女の子じゃないんだからいいってば!」とツナが
断るのも毎度のことだ。

だが、驚いたことに、ツナは立ち上がった獄寺を見上げると、やや間をあけてからこくりと頷いて
みせた。
山本が知る限り、かつてなかったことだ。
獄寺は嬉しそうに笑うと、「じゃあオレ、上着取ってきます」と足早に部屋を出ていく。




獄寺がいなくなった途端、ツナはため息をついてその場にゴロンと寝転がってしまった。
「ツナ?」
その顔は何だかやっぱり赤いような気がしたが、山本の目にもとてもきれいに映った。

「………どうしよう」
ぽつりと小さくつぶやく声。

(あーなるほど。そういうことな)
ツナが、自分の反応など必要としていないのだというのがだんだんと分かってきた。
自問と自答をくり返しているのだ。


だから山本はかすかに笑うと、あえて黙ったままでいた。
いかに鈍い人間でも、これでは丸分かりだ。
同じ部屋の中で、二人の人間にこうまで意識し合われたらたまったものではない。

しかし獄寺がツナに絶賛片思い中なのは、本人以外は誰でも知っていたが。
ツナのこの心境の変化は、何がもたらしたのだろうとは思う。

(まあ、咲いちまったってことなんかな)

これも、変化。
まだとりあえずは始まりで。
これからどうなるかなんてのは、誰にも分からない。

数時間前よりもぎくしゃくして、なのに親密にも見える自分の親友ふたりへと。
山本はふくみ笑いをしながら、応援のエールをひそかに送った。