空は気持ちよく晴れ渡り、塩中文化祭は生徒会の事前予想を大きく超える大盛況となりつつあった。
昨今、子供の数が減っているせいか、親の方も心にゆとりがあるのかもしれない。
父兄の姿も多くみられたし、近隣の住人にもチケットが配られており、学校中が賑やかでウキウキした空気に
包まれていた。

こういう時はきっと楽しんだ者勝ちなのだ。それは分かる。
だが午前中、1年3組の誰よりも忙しく立ち働いたであろう律は最悪の気分だった。
やっと休憩をとらせてもらえた今、仕切りで見えなくしてある狭いスペースにどっかりと座り込んだ自分はメイド
服姿だ。

周囲にはまるで神様へのお供え物のように、焼きそばやジュースやアメリカンドッグ、クレープに肉巻きおにぎり
などが置かれている。
実際、これを運んできたクラスメイトたちは律を拝んでいった。
外では出し物の人気投票が行われていて、一位のクラスには学食の食券が束で進呈されるのだ。
まあ全員で分ければ大したことはないが、体育祭と同じで優勝というものは旨みがある。
現在、3組はブッチギリの売上げを叩き出しており、『午後も頼むな、影山』  『影山君もしかするとMVPも受賞
かもよ!?』 と皆がキャッキャしている。

(冗談じゃない…MVPなんか獲ったら、僕はこの格好で全校生徒の前に出るのか)
考えただけで血の気がひいた。
自分のクラスが女装喫茶という案を出した時も震えあがり、生徒会でさりげなくボツに持ち込もうと画策したが
だめだった。
あの一件以来、牙を抜かれた生徒会長はすっかり寛容な男になってしまっている。
(何が、 “うーん別にいいんじゃない?” だよ!!ふざけるな!)

スカートの中でふんわりと嵩増しをしているレースの下着に、もう泣きたくなった。
午前中にはどこで聞きつけたのか鈴木が現れ、律の人を殺しそうな顔つきの接待を受けて帰っていった。
なかなかかわいいんじゃね…とか言いながらスマホを取り出したので、すかさず足を蹴り飛ばし、『撮ったら絶交
だ!』と凄んだのもついさっきの事である。


とにかくもう数時間の辛抱だ。さすがに何か食べないともたない…と思った律は、もそもそと焼きそばを食べ始めた。
女子から 『やだ、焼きそばなんか食べたら歯に青海苔がついちゃうじゃない!影山くん、後で歯を磨いてね』 など
と言われたが、そんなの知るかと思いながら冷めたそれを頬張る。

その時だった。関係者以外入ってこないはずの場所に、よく知った声が響いたのは。
「おいおい、メイドさんが焼きそばはねーだろ。お、苺のクレープあるじゃねーか。こっち食えよ、律」

終わった…!!と、焼きそばの容器を取り落としながら、律は絶望した。
一応スーツ姿ではあるが、堅気の人間がしめると思えないピンクのネクタイに、うさん臭いニヤニヤ笑いで登場
したのは兄の師匠、霊幻新隆だった。何の師匠なのか理解したくもなかったが。
律がこの姿を見られたくない人間ベスト3……いや、兄の茂夫と双璧を成す人物だ。

「れ…霊幻さ……」
「おう。めちゃくちゃ似合ってんぞ、それ」
「いったい何でここに…どうして門のとこで不審者として捕まえてくれないんだ…」

弟子の弟は震え声でブツブツ不穏なセリフを吐き始めたが、まだ体も細くストイックな雰囲気を持つせいか、メイド
服がやけにはまっていた。
足は閉じろよと霊幻は思ったが、そこはまあいい。
それにまだ店に入ってないからチラリと見ただけだが、他の男子の衣装はもっとペラペラだった。
明らかに律の服にだけ気合いと金がつぎ込まれている。クラスの期待の高さが窺えた。

「ここの文化祭のチケットって近隣住民にも配られるんだよ。さっきモブんとこも行ってきたぞ」
「善良な近隣住民にだけ配れよ…無差別かよ…」
「俺の事務所はちゃーんと町会費だって払ってるからな。新聞とおんなじで特典があるんだよ」
「だいたい、どうやってここに入ってきたんですか」
「ン?影山くんの従兄なんだけど約束してるんで呼んでって頼んだら、どうぞどうぞって通してくれたぜ」

詐欺師め…と律はギリギリ歯噛みした。だいたいクラスの連中も、どこを見てこの男と自分が血が繋がっていると
勘違いできたのか。
だが薄暗く狭い部屋の中で、霊幻はふいに律の前にしゃがむと顔を覗き込んできた。

すぐ横の教室からは、クラスメイトと客の賑やかなやり取りが切れぎれに聞こえる。
なのにここだけは切り離されたように静かだ。
いつも軽く笑いを含んだ目。子供と目線を合わせるように、すっと近くへやってくる人。
だから、苦手なのに。


「何をそんなに嫌がってんだ?お祭りなんだし楽しめばいいじゃねえか。恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいに決まってるでしょう!」
「だけど俯いてばっかりじゃ、せっかくの衣装も台無しだろ。そんな気合いはいってんのにな」
「だって、どんな顔していいか分からない…」
「ん?」
「愛想笑いとか、できないです。楽しくもないのに笑えないし…霊幻さんは得意だろうけどそういうの」

(愛想笑いなあ…)
霊幻は考え込んだ。愛想笑いとは、人の機嫌をとりたくてやるお世辞やおべっかのようなものだ。根底には卑屈さ
が隠されている。
だが人は、関係性を円滑にするために意味もなく笑ってみせる。
それが無難だと知っているからだ。

『それが出来ない』とわざわざ口に出す律の潔癖さが、何故か好ましく感じられた。
そんな自分をダメだと思ってんのか、そういうとこモブによく似てんな…とおかしくなった。
似てはいるが、やっぱり違ってもいる。律には律の美しさがあるのだ。分かれよ勿体ないと胸の内に呟く。

「まあ俺は接客業だから、ジョブスマイルっつーか、気持ちはちゃんと入ってんだぞ」
「…ッ、すみません…僕の言い方が悪かったです…」
「お前ツンツンしてるくせに、たまに突然素直になるよな。それより、なあ律。ハンサムって言葉知ってるか?」
「……ええと…?イケメンみたいな意味ですよね?」
「おうそれ近いけどよ。端正なとか凛とした美しさってのが元々の意味だから、女性にも使ったりするな」


急に話が妙な方向に転がって、霊幻の真意が分からず律は首を傾げた。
その様子がまたそそるものがあり、相手が少しばかりぐっときているのにも気づかない。
「お前さ、そんな風にしてみろよ」と言われて、驚きのあまりパチパチと瞬きを繰り返した。

「だいたいな。クラスの連中もお前にハンバーガー屋の店員みたいに愛想振りまけなんて言ってねーだろ」
「それは…そうですけど」
「何を着てても女の格好でも、背筋伸ばしてシャンと顔を上げてろ。メイド服姿でも影山くんてホントかっこいいと
思わせてやれよ」

その言葉で気づかされた。お客は不平も言わなかったが、午前中も嫌そうな顔をしたり、恥ずかしくて俯いて
ばかりいた自分は、どんな風に見えただろう?
この服を一生懸命あつらえてくれたクラスメイトたちは、いい気持ちがしなかっただろうに。
みんな、頑張ってくれてありがとうとしか律に言わなかった。
(ああもしかしなくても、最低か、僕は)
学生が作ったものにしては上等そうなスカートの生地に手で触れる。黒のような紺のような色合いのそれが、
よく似合うと衣装の子たちが律を褒めてくれた。

「……愛想笑いは、しなくてもいいんですか」
「むしろ安売りすんな。これぞという客が来た時だけ、ちょっと笑ってみせてやれ。高嶺の花みたいにな」
霊幻の指が伸びてきて、律の口端を両方ちょっとだけ押し上げた。
ビックリして固まったが、急に頬へ血がのぼる。指はひんやりと冷たい。焦りにも似た疼くような思い。

「ちょ、気安く触るな」
「そんな感じだ。上手くやれそうじゃねーか」

捉えどころのない笑い方をして、霊幻はすっと立ち上がった。
休憩いつまでだ?と聞くから、あと20分ぐらいですと答えると、じゃあまた後で客として来るからなと律のヘッド
ドレスごと髪をぽんぽん撫でた。
ああ、この人は本当にタチの悪い大人だと思う。
こっちの心を鎮めて、だけどめちゃくちゃにかき乱して、平気な顔で去っていく。
それが悔しくてたまらず、だから次はせめて揺さぶるぐらいの事をしてやりたいと律はいつも思うのだ。
難攻不落のあの男の心を。




フラフラと校内を歩き回って、それなりに中学生の催しを楽しんだ霊幻は、最後にまた1年3組に戻ってきた。
列ができていたので並んでいると、さっき律を呼びだす時に声をかけた少年が「あっ影山くんの従兄さん!」と呟く。
えっそうなの!?と傍にいた女子たちも一斉に騒いだ。
サービスしときますといっぱしの口をきくのが面白かったが、「おう、頼むわ」と真顔で頷く。

席に案内されて、適当にアイスコーヒーと焼き菓子のセットを頼み待っていると、律が現れた。
背筋をシャンと伸ばし、目線も定まっていて、恥ずかしがっている様子は微塵もない。
歩くとスカートの裾がが柔らかく波打って、黒い瞳と髪に釣り合ったそのドレスは本当に綺麗だった。
いい仕事してやがんな…と霊幻は改めて感心する。

「お待たせしました。やっぱり来てくれたんですね」
「約束は守る男だからな俺は。なんだ注文してたより色々あるじゃねーか」
「うちのクラスからサービスだそうですよ。僕の身内に」

いつもなら嫌味っぽく言いそうだったが、律は澄ました顔をしている。完璧だ。
霊幻の前に、他に小さなサンドウィッチを盛り付けた皿や、ゼリーも並べられた。
「ではごゆっくり。来てくださってありがとうございました霊幻さん」
心にもないセリフまで言ってのけた律を、ある意味立派だなコイツと思いながらも、あーちょっと待て待てと慌てて
呼びとめる。

「写真、撮ってもいいか記念に」
99.9%すげなく断られると思ったのに、かざした携帯を見た律はアッサリ「いいですよ」と承諾した。

ヘッドドレスを軽く直し、こちらを向き直った姿が画面に映りこむ。
撮るぞと霊幻が口の中で小さく呟いた瞬間、律の口端がほんの少しだけあがった。
さっきあの暗がりの中で自分の指が教えたのと同じ角度。鮮やかに笑ってみせる律に本気で心臓が止まった。

『これぞという客が来た時だけ、ちょっと笑ってみせてやれ』
自分自身の言葉がプレイバックして、そういう事かよと霊幻は内心で頭をかかえる。
一度心に灼きついてしまったものは消えない。データを削除しようが写真を破こうが、消えないのだ。

「ありがとな。きれいに撮れた」
「どういたしまして。何がありがたいのか全然分かりませんけど」

安売りしてない高嶺の花は、それきり振り向きもせずに行ってしまった。
ちょっと負けた気がすんなと肩をすくめた霊幻は、忙しく動き回る律を横目で眺めながら、遠慮なく身内サービス
スペシャルをすべてたいらげたのだった。