熱心にやっていた算数の宿題を終えたアキラは、少々不機嫌そうな顔で
教科書をぱたんと閉じた。


外はものすごい雨だった。
だがこの部屋には秋だというのにもうコタツが出ていたから、寒いという
わけじゃない。
むしろ快適だ。眠くなってくるぐらいに。


では何がアキラを不機嫌にさせているかといえば、単にここがアキラと
源泉の住む部屋ではないからなのだった。



ここは同じアパートの1階にある大家のおばあちゃんの部屋だ。

たまに源泉が「はりこみ」でどうしても帰るのが遅くなってしまう日だけ、
アキラはここに預けられていた。


仕事が終われば、源泉はここに迎えにきてくれる。
たまにとても時間が遅くてアキラが眠ってしまっていると、起こさずに
そのまま抱いて帰ってくれることもあった。





大家のおばあちゃんはいい人だ。アキラもきらいじゃない。
ちょっと太っていて、にこにことして優しい。


だがちょっと耳が遠いから、話がかみ合わないことも多かった。
アキラに話しかけているのか、ひとりごとなのか、よく分からない時も
結構ある。


だから二人は、「お留守番の日」は、テレビを見たり宿題をしたりと好き
勝手にすごすのが常だった。


今も、同じコタツでテレビを見ていたおばあちゃんは、座椅子にもたれて
うとうとと幸せそうに居眠りをしている。

アキラはテレビのリモコンを引き寄せて、音を小さくしてやった。
無音になると却っておばあちゃんが目を覚ますのを知っていたからだ。





それにしても。

アキラは幼い頭の中で、また源泉に対する不満をつのらせはじめた。
なんで源泉は、自分に留守番をさせてくれないのだろう。


(俺、もう一年生になったのに)
(夜に一人でもこわくないし、源泉遅かったらちゃんと寝るのに)


源泉にそう言ってみたが、ダメだった。
『 んん〜もうちょっと大きくなってからな、アキラ 』
と、まるで小さい子相手のような言い方をして、アキラを憤慨させた。



まあ実際、アキラは去年まで幼稚園に通っていたわけだが。

アキラ的には、幼稚園と小学校というのは天と地ほどの差があった。
小学校の一年生ともなれば、おにいさんだ。
留守番ぐらいできるに決まっている。


普段はアキラのことをなんでも分かってくれる源泉が、どうしてこの件に
関しては頷いてくれないのだろうか。

(俺をすごくすごくものすごく子供だと思ってるんだ!)



アキラは形のいい口元を、むうっとへの字に曲げた。

こういう顔をすると源泉はいつも 『 おいおい、そんなカオになっちまうぞ。
べっぴんさんが台無しだ 』 などと言う。


どうやら源泉は、アキラがどこの子よりも最高に賢くて可愛いと思い
込んでいるらしい。


それは親バカもいいところだが。
アキラとしては、せめて役に立つところを見せたいと思った。
そのチャンスももらえないなんて、あんまりではないか。




外で吹き荒れる雨や風に混じって、遠く雷がゴロゴロいうのが聞こえた。

(源泉、だいじょうぶかな)
(車の中にちゃんといるといいけど…)


いくら腹をたててみても、アキラは源泉が大好きだったし、雨に濡れたり
寒い思いをしてほしくない。

今日みたいな日はなおさら、家で源泉を迎えてあげたいのに。
子供にはなんでこう、やっちゃいけないことが多いのだろう。




だが、その時アキラはいいことを思いついた。

横目でおばあちゃんを見ると、本格的に眠りこけている。
このままなら、自分がいなくなっても気づかれはしないだろう。


よし、とばかりに、アキラは音をたてないよう注意しながら、ランドセルに
筆箱やノートや教科書をしまった。
ポケットの中に入っている鍵を確認すると、コタツからそっと抜け出す。



そう、今からでも家で留守番をすればいいのだ。

こんな天気の日に家で一人でいられたら、源泉だってアキラを見直すに
ちがいない。

『アキラもすっかり大人になったんだなぁ』 と、感心したように言う源泉を
想像して、くすりと笑った。
冒険に乗り出すようで、急にドキドキしてくる。




下駄箱の上に置かれていたおばあちゃんの部屋の鍵を握りしめ、傘を
持ったアキラは、しかし扉を開けた瞬間もう後悔していた。

それぐらい雨も風も激しかったのだ。
アキラの小さな体では吹き飛ばされてしまいそうに感じるほどだった。

それでも意を決して外に出ると、鍵をかけて郵便受けに放り込む。



アパートの2階への階段には屋根がなかったから、本当に傘を風に
巻き上げられそうになりながら踏ん張って上がった。

遠くではゴロゴロと雷が鳴っていて、そのうちこちらでも落ちそうな予感
がした。


正直なところ足がすくんだ。
初めてのお留守番にしてはレベルが高すぎたような気がする。

だがもうひっこみがつかないまま、なんとか家にたどりついたアキラは
今度は自分の鍵を出して扉を開けた。



「た…ただいま…」
誰もいないと分かっていたが、景気づけにとにかくそう言ってみた。

まっくらだ。
しーんとしているし、すごく寒々としている。

怖いと思うのはくやしかったが、やはり怖かった。

だが自分は男の子だし、もう一年生だ。
源泉に認めてほしかったら、ここでがんばらなければならない。




「………電気、つけよう」

アキラがまだ小さいので、家の中にはところどころに踏み台のようなもの
が置かれていた。

闇に目が慣れてきたので、アキラはその踏み台を探し当てると、それに
乗って玄関の電気を点けることに成功した。

ぱっと周囲が明るくなって、ほっとする。



だが家の中はまだ暗い。アキラは走っていって、台所やテレビのある
部屋の電気を点けて回った。

ちょっと寒かったから、エアコンのヒーターもつけた。
こうしておけば、源泉が雨に濡れて帰ってきても、部屋があったかくて
喜ぶはずだ。



火は使っちゃいけないからお湯は沸かせないけど、ポットにお湯がある
からコーヒーだってすぐ飲めると思う。

前にちょっとだけ飲ませてもらったコーヒーはものすごく苦くて、大人は
なんでこんなのを飲むんだろうと不思議だった。


でも源泉は煙草とコーヒーが大好きなようだ。
アキラは、ココアやホットミルクの方が甘くておいしいと思うのだけれど。




それにしても、源泉のいない家の中はどうしてこんなにがらーんとして
いるのだろう。

部屋を見回してみるが、落ち着かない。
とても困った気分になってしまった。


(源泉は背が大きいから、家の中がいっぱいの気がするのかな)

アキラの幼い頭では、うまく説明がつけられなかった。


ただ、アキラに話しかけてくれて、抱きよせてくれる源泉という存在は
とても温かなもので。

それがそばにいない今、世界はものすごくだだっ広く、いくらヒーターを
つけてみても、なんだか寒くていやだった。




外の雨は激しく、ザーザーどころかドドーッというような音をたてている。


時計を見てみるともう、10時をすぎてしまっていた。
普通ならそろそろ、アキラはお休みをいって眠る頃だ。

着替えて布団に入ってしまってもいいけど、せっかく勇気を出して留守番
をしているのだから、源泉の顔を見たいと思った。



(テレビでも見てようかな……)

雨の音が大きすぎて怖い。部屋が静かすぎるのがいけないのだ。

でもこんな時間にテレビを見たことないし、アキラが面白いと思うような
番組はきっとやってないだろう。


源泉は、テレビより本を読む方が好きだ。
だから、こんな時間にテレビつけてたことってあんまりなかったっけ…と
今さらのように気づかされた。




「そうだ、録画してるあれ、見ればいいんだ」
雨音に負けないように、独り言にしては大きな声でアキラは言った。


別に今やってる番組を見なきゃいけないわけじゃなかった。
録画分の見方は源泉に教わったし、大好きな番組だから何度だって
見ている。



テレビとDVDに電源を入れてから、思いついて源泉に買ってもらった
グッズを持ってきた。
これですごく気分が出ると思い、アキラはにっこりした。


ブルーと銀色の波打つようなきれいな形の剣。
これは真ん中が透けていて、スイッチを入れるとキラキラ光る。

それと、片目ゴーグルがついてるヘッドフォン。
これも青がメインで、ゴーグルにも薄く色がついている。



これはアキラが大好きな特撮番組 「気象戦隊リュウレンジャー」の
グッズであった。

竜をご先祖様にもつ戦士たちが、地球の気象を乱す悪者と竜剣で戦う
というストーリーだ。

リュウレンジャーはそれぞれ、自分の持つ竜剣の属性により、違った
能力を使うことができる。

アキラが好きなドラゴンブルーは、雨と水の属性なので、このブルーと
銀色に光る、流線形の剣で戦うのだ。




リモコンのスイッチを押すと、ジャーン!チャ―ラララ〜♪とオープニング
の曲が流れ始めた。

いつもは源泉がいるからできないが、ドラゴンブルーが映ると、アキラは
キメポーズをまねしてみた。
このポーズから、剣をくるくるっと回して、必殺技を繰り出すのだ。

すごくかっこいい。



アキラは将来、自分が2代目ドラゴンブルーになりたいと真剣に思って
いた。

甲斐(←ドラゴンブルーの名前)は、もう高校生のお兄さんだし、将来は
気象予報士になるみたいだから、きっと譲ってくれるだろう。



そのためには、今日みたいな嵐も怖がっていてはいけない。

甲斐も「おうちの中にいれば、すごい雨でも怖がることはないんだぞ」
とアドバイスしてくれていた。

このグッズを身につけていると、すごく強くなったような気がしてくる。
きっと自分も、地球の気象を守れるようになるにちがいないと思った。





とおく、雷がゴロゴロ鳴る音がしている。

テレビの中ではリュウレンジャーが戦い始めたが、アキラはいつもほど
それに身が入らなかった。


そういえば、このグッズを買ってくれる時に、源泉は「赤いヤツが主人公
なんじゃないのか?」と不思議そうに聞いてくれた。


たしかに、クラスの子たちはほとんどみんなドラゴンレッドが好きだ。

炎の属性のレッドは、技も派手でかっこいいし、司(←レッドの名前)も
明るくてすごくヒーローっぽい。



でも、アキラはドラゴンブルーが一番好きだった。

甲斐は普段はクールそうに見えるけど、すごく仲間思いだ。
そして、過酷な運命を背負って生まれてきた小さな弟を守り抜くと誓った
優しい兄でもあった。


そういうところが、見た目は全然ちがうけど、いつもアキラを大切に守って
くれる源泉と重なって見えた。


そんなことは、恥ずかしいから絶対源泉にはナイショなんだけど。

でも、アキラにとって源泉は、大好きなヒーローとおんなじぐらいと思う
ほど、本当はかっこいいのだった。





そろそろ番組が一本終わるかと思っていたその時だった。
少し眠そうに目をこすったアキラは、空が不穏な音でうなっているのに
気がついた。


相変わらずの雨音にも負けないような、低く重くゴロゴロと鳴る音。

それに首をすくめた途端、部屋全体が一瞬明るくなるぐらい、全部が
ピカッと光った。

びっくりする暇もなく、ズドオオォォォォン!!!と家が揺れるような
ものすごい音をたてて雷が近くに落ちた。


「わあああああー!!!」

アキラは思わず両手で耳をふさいだ。
こんな大きな雷が落ちたのは初めてで、電気で感電しちゃうよ!と
そう思った。



しかしつぶっていた目を開くと、もっと悪いことが待っていた。
今の雷で、停電したのだ。
テレビもエアコンも電灯もなにもかもが消え、部屋は真っ暗になって
しまった。



なんにも見えない、と絶望的になった時、また外が激しくピカッと光る。
一瞬明るくはなったが、それは何の慰めにもならなかった。

再び、さっきと変わらないような雷が、ズドオォォォン!!と落ちて、アキラは
半泣きになった。


「源泉…もとみぃ…こわいよー……」

必死で源泉を呼びながら、アキラは手探りでグッズの剣とヘッドフォンを
掴むと、だいたいのカンで暗闇の中を台所の方へ動いた。

ご飯を食べるテーブルの下に潜り込む。


ガタガタ震えながらヘッドフォンをつけると、どうにかさっきよりも落ちている
雷の音が小さくなった。

いや、実際には小さくなった気がしてるだけだったけれど。




すすり泣きながら、アキラはドラゴンブルーの剣のスイッチを入れてみた。
すると真っ暗な中に、ぼうっと柔らかな青い光が浮かびあがって、キラキラと
美しく輝きはじめた。


それを見たアキラは、ほうっと安堵のため息をついた。

ひっくひっくとしゃくり上げる声は止まらなかったが、暗闇ではなくなったし
雷の音も遮られていてそんなに恐ろしくはない。



(やっぱりドラゴンブルーはすごい…)
(ちゃんと助けてもらえたから、もうそんなにこわくなくなったし…)


(でも、源泉はだいじょうぶかな)
(雷…おうちの中ならおちないって言ってたけど…外にいるだろうし…)


(神さま、おねがいします)
(源泉におちたりしませんように……おねがいします…)




エアコンが切れたせいで室内は少し肌寒くなっていたが、光る剣を抱きしめ
ると、アキラはだんだん眠くなってきた。


さっきは怖かったけど、家にいればきっと大丈夫。
源泉はいつも約束を守るから、きっとちゃんと帰ってくるはずだ。


(だから、やっぱり家で待ってた方がいいんだ…)


幼いながらの確信が、アキラを自分で安心させた。

寝心地の悪い床も、気にならなかった。
青い光に頬をすり寄せると、アキラはやがてすうっと眠りにおちていった。










叩きつけるような雨と、大人でも身をすくめるような雷に眉をしかめながら
源泉は家のある2階への階段を上がった。

まだ停電は復旧しない。どこも真っ暗だ。

仕事柄いつも携帯しているペンライトのように細い懐中電灯で足元を何とか
照らしながら進む。

大きい方の懐中電灯は、大家のばあさんの所に置いてきてしまった。




今夜は依頼を受けて、ある男を尾行し動向を探っていたのだが、この激しい
雨ではチャンスがあっても写真も撮れそうにない。

長時間の張り込みの挙句、成果なしというのには落胆したが、こんな荒天だ。
アキラの元に早く帰ってやろうと思った。



帰り道、車を運転している最中、ものすごい雷が落ちた。

そしてそれが停電を引き起こしたことに、源泉はすぐに気がついた。
まだ夜も10時過ぎだというのに、家々の明かりが全て落ちたからだ。



(こりゃ、まずいな。急がんと…)

大家のばあさんもアキラも慌てて怪我でもしなきゃいいが、と思いながら
それでも運転は慎重にした。

自分の方が事故っていては話にならない。

アキラを庇護してやれるのは自分だけだという自覚があったから、源泉は
はやる気持ちを抑えて、なんとか安全運転でアパートに戻った。




大きい方の懐中電灯を使って、大家のばあさんの部屋までたどりつき、
ドンドンドアを叩いて外から呼びかけたが、なかなか出てくる者はなかった。

アキラは賢い子だから、懐中電灯なりろうそくなり、明かりをつけることを
考えるだろうと思っていたのだが。


だが、辛抱強くドアを叩いた挙句に、ようやく出てきた大家のばあさんから
源泉は驚愕の事実を告げられた。

アキラが部屋にいないと言うのだ。



慌てて部屋に踏み込み、隅々を懐中電灯で照らして確認したが、どこにも
姿は見当たらない。

どうやらばあさんが居眠りをしている隙に、荷物を持ってさっさと家に帰って
しまった様子だ。
ランドセルや学校の勉強道具もどこにもない。


(そういや、一人で留守番させてくれって言ってたな)

(なんであいつは、ちっこいくせにこんなに自立心旺盛なんだよ…)



ばあさんの部屋の鍵は、きちんと郵便受けに入れられていた。
どう考えたってアキラは家に戻っている。


雷が落ちて、停電になって、どれだけ怖い思いをしたことだろう。
源泉は、1秒でも早くという気持ちのままに、横殴りの雨の中、階段を
やみくもに駆け上がった。




「アキラ!!おい、アキラ、いるのか!?どこだ!?」

自分でも情けなくなるようなうわずった声で、玄関から暗闇に向けて呼び
かける。
泣き声が聞こえはしないかと、耳をすましたが、コトリとも音がしない。


だが、他の場所にいるはずがない。
ここに帰ってきているに決まっている。


未だ回復しない電気にもどかしさを感じながら、源泉はか細いペンライトの
光を頼りに、どうにか玄関から台所の方へと進んだ。



すりガラスの入ったドアをカチャリ、と押し開けて、一歩踏み出し「アキラ…」
ともう一度呼びかけてみた。


と、そんな源泉の視界に、思わずびくっとするようなものが飛び込んできた。


「……なんだありゃ?」

台所の中央あたりに、ぼうっと青い光が浮かびあがっている。
そしてその中心部分は、銀色の粉が舞うように、キラキラと輝いていた。



えらく幻想的な光景に、一瞬呆気にとられた源泉は、やがてはっとして床に
膝をつくと、青い光の源に向けてライトを照らしてみた。


「………アキラ」


安堵のあまり、がっくりと力が抜けてしまう。

台所のテーブルの下には、大好きな番組のグッズであるゴーグルつきの
ヘッドフォンをかけ、青と銀色に輝くおもちゃの剣を抱きしめたアキラが
まるくなって眠っていた。


なにも心配はないようだ。
部屋は多少冷えていたが、アキラはすうすうと寝息をたてている。



その健やかな寝顔を、しゃがんでじいーっと見つめているうちに、源泉は
なにやらものすごくおかしくなってきてしまった。

(子供って、面白れぇよなあ……)


たぶん大きな雷が鳴って、パニックを起こしながらも、机の下に逃げ込んだ
のだろう。

ちょっと地震の時と混同している感じはするが、屋根的なもんの下に入ろうと
したようだ。

このグッズを持っていたのは偶然かもしれないが、雷の音を遮っているし、
剣は懐中電灯の代わりをはたしている。




小学校1年生の子がとっさに行動したにしては立派なものだ。

もうあんまり、幼稚園児みたいな扱いはしない方がいいのかもしれんなあ…
と、源泉はアキラの寝顔に向けて、ため息をついた。

それをアキラが望んでいることも承知している。



しかしもっと幼い時分から、源泉に甘えてくれることが少なかったアキラを
思うと、そんなのはまだ早いと思わずにいられなかった。

それが完全に大人のエゴであってもだ。


この子には母親がいないのだ。
たくさん甘やかして、たくさん愛していると分からせてやりたい。

とにかく、自分がそうしたいわけで。
それの何が悪い、とかなり開き直り気味に源泉は考えた。



長いあいだ、小さな子供のままでいたっていいではないか。

抱き上げたり、頭をなでたり、手をつないで歩いたり。
大切だと、てらいもなくそのまま伝える。

今、ここにある日々。

それが貴重であることを、先に大人になった自分は知っている。

そんなことは、じきにできなくなってしまうはずなのだから……








そうこうしているうちに、電灯がチカチカとまたたき、家中にぱっと明かりが
ついた。

ようやくの復旧か、と思いながら、源泉はまずアキラのヘッドフォンを外した。

それから抱え込んだ剣といっしょくたに、小さな身体をテーブルの下から
救い出し、腕に抱きあげ、よいしょと立ち上がる。




「…アキラ。 あーきーらー、眠いのは分かるけど、いっぺん起きな」

源泉の胸に頬を擦りつけながら、アキラはむにゃむにゃと何か言っていたが
ようやく目が覚めてきたようで、重そうに瞼をあけた。


「もとみ……ここ、どこ…」
「ここは家。 おまえ、一人で帰ってきちまったんだな。俺は…」


額をこつんと合わせながら、源泉は慎重に言葉を選んだ。
以前のように、ただ叱るだけというのはよくない。
でも、案じていたことは伝える必要があると思った。


「俺な、帰ってきたら、ばあさんとこにおまえがいないから、ちょっとだけ心配
したんだぞ…?」



まだぼんやりとしていたアキラは、次第に何が起こったのか思い出したの
だろう。

源泉の腕の中から周囲を見回すと、「ドーン!て、大きい雷おちて…急に
まっくらになった…」とか細くつぶやいた。



「る…留守番しよーっておもって…」
「…うん」
「たくさん雨ふってるし、源泉かえってきた時、家にいようと思って」
「うん、そうか…ありがとうな」



見る見るうちに、アキラの瞳にいっぱい涙がたまり、こぼれ落ち始めた。
あーこりゃ、相当ショックだったらしいな、と源泉は思う。
腕の中で小さな体を揺すって、あやすようにしてやった。



「雷鳴って、怖かったか?」
「うん…うん……」

「停電にもなったからなあ。ちゃんと電気のつくモン持ってて偉かったな」
「こ…これのこと?」
「ああ、さすがアキラのヒーローの剣だな」


ちゃんとおまえを守ってくれた、と優しい声で告げれば、アキラはふにゃりと
笑顔になった。




こうやって、ちょっとずつちょっとずつ、大きくなってゆくのだ。
小さな出来事を積み重ねて。

だが今はまだ、そういうことは考えたくないなと源泉は思った。


小さなアキラの体を大切に抱きしめて、「ただいま」と呟いてみる。


体温を分かち、家に帰りついたのだと感じた。
そんな平凡な、なにものにも代えがたい幸福。


ずっと長く源泉が得られず、手にすることなどないとさえ思っていたそれは、
あたりまえのように今、腕の中に存在していた。