「あー本物のアキラだ。おいちゃん、カンゲキ」

 白衣の天使、としか言いようがない相手を背後から抱きしめると、
 「本物ってなんだ。ニセモノもあんのか」と憎まれ口が返ってきた。


 だが口は悪くとも、嫌がる様子はない。
 それどころか、アキラが全身で自分を意識しているのが感じられて、
 たまらない気持ちにさせられた。


 「ここんとこずっとお前さんに触れてなかったからなぁ。俺はもう、アキラ
 不足で色んな意味でギリギリだ」
 「だからって本当に入院してくるやつがあるか!」


 調子に乗った源泉が、白い制服から覗くきれいな脚を片方持ち上げると
 てのひらをベシッと一度はたかれた。
 
 それでもめげずに、ガーターベルトが見えるまで再度挑戦してみる。


 露わになる脚よりも、制服の下の方が気になったのか、アキラは大慌てで
 両手を使ってスカートの裾を押さえた。

 誰が見ているわけでもないのに可愛いもんだ、と源泉は口端を上げて笑う。



 …アキラにとって神聖な職場である病院で、こんなセクハラまがいの
 行為が許されるのは、一応二人が恋人同士だったりするからなのだ。




 「…アンタ、仮病かと思ったら、本当に肝臓悪いじゃないか」

 ぼそり、と非難するような口調でアキラがつぶやいた。
 背後からでは表情は見えないが、案ずる気持ちはちゃんと伝わってくる。


 「いつも酒と煙草、ひかえろってあれほど言ってんのに」
 「んー心配か?」
 「悪いかよ」
 「大丈夫だ。おいちゃん長生きして、アキラとず〜っと一緒にいるからな」


 約束しただろう?と囁くと、うなじを赤く染めて小さく頷いた。
 そんな姿が、ひどく愛しい。

 自分の体温を教え込むように、源泉はアキラの身体をつよく引き寄せた。





 そもそも二人は、同じアパートの隣人だった。
 
 顔を合わせれば挨拶をする程度の二人の関係に変化が生じたのは
 一年ほど前のことだ。

 アキラのナース姿に目をつけ付き纏っていたストーカーを、源泉が
 撃退してやったのだ。
 
 さすがのアキラも、道理の通用しない相手に心細い思いをしていたらしい。


 親子ほども年が違う二人が、お互いを好きだと思うようになるまでには
 それからさほどの時間はかからなかった。




 ……アキラは天涯孤独で、誰にも頼らずに生きてきたという。

 自分が、そんなアキラを一人でいられなくしてしまった。
 誰かが傍にいる温もりを教え、寄りかかってもいいんだと教えた。

 (だから、責任はちゃんと取らんとイカンよな……)

 源泉的にはむしろそれは大歓迎なのだが、いざとなると照れくさくて
 今までなかなか言い出せずにいた。

 だが、今夜は、ちゃんと安心させてやりたい。





 「…時間、不規則な仕事だから。あんま会えなくてごめんな」

 自分の勤める病院に入院までした源泉の気持ちを察したのだろう。
 アキラは身をよじり、済まなさそうな顔でそう言った。


 「ん?おいちゃんは、頑張って仕事してるアキラが好きだぞ。気にする
 ことなんかない」
 「けど、ここんとこまともに顔を見る暇もなかっただろ」


 ションボリとした様子のアキラと額をくっつけると、源泉は気をひきたてる
 ような口調でこう言った。

 「あのな、アキラ。おいちゃん、提案があるんだが」
 「…なに」
 「もうそろそろ、『お隣さん』をやめないか」
 


 ……一瞬、アキラは言われた事の意味を測りかねたようだった。
 だがやがて、見開いていた瞳がじんわりと潤んでゆく。

 「源泉……」

 その目元に軽く口づけながら、源泉はあやすようにアキラの身体を揺すった。


 「時間が不規則なのは俺も同じだ。だがな、ちょっとでもアキラといたいんだ」
 「………」
 「だから一緒に暮らそう。いいだろう、な?」




 自分たちを隔てる、壁一枚を取っ払って。
 アキラがこれまで欲しくても持てなかったものを、やれたなら。
 
 …もっと笑ってくれるようになるだろうかと
 
 そんな青臭いことを本気で考える自分がいる。


 (だが、同じことが望みなら、そうしないなんて馬鹿げてるだろう)





 …真夜中の静寂を突き破るように、サイレンがだんだんと近づいてきた。

 どうやら、急患が運ばれてきたようだ。
 二人が寄り添っていた部屋の窓も、赤いライトに照らされる。



 「……悪い、行かないと」
 目元を拭いながら、アキラはそっけないぐらいの呟きと共に立ち上がった。
 
 「ああ、しっかりな」
 ベッドに座ったままの姿勢で、源泉は仕事の顔に戻ったアキラを見上げる。
 

 その瞬間、アキラは屈みこみ、源泉の耳元に一言ふたこと何か囁いた。
 そして、止める間もないような速度で白い制服をひるがえすと、病室から
 走り出て行ってしまった。



 後には、ぽかんとした顔の源泉が残された。
 だがやがて、「まいったな」と誰にも聞き取れないような小声で呟く。


 『……今度の休み、部屋さがしに行こう』

 恋人が残していったささやかな約束の甘さに、知らず口元が緩んだ。




 「煙草はともかく、酒はちっと控えるかな…」
 できそうもない目標を掲げつつ、不精ひげの生えた顎をしきりに撫でる。

 …だがアキラに管理されるのも、悪くはない。



 そんな事を考える自分を相当末期だと思いながら、源泉は、アキラが出て
 いった病室のドアを見つめて、こっそりと笑った。