見晴らしのいい広々とした土地に、白い墓標や十字架が並ぶ。

澄んだ空気と緑に抱かれたこの場所は、何故だろう、生前にどんな生き方をしたとしてもその
魂が安らぎを得られると信じさせてくれる雰囲気があった。

だから、獄寺もここに来た時だけは疑わない。
白薔薇の花束を捧げ、母と子供の頃の自分の写真を一緒に立てかけた。
墓標を見つめ、思いをはせる。この人は今はもう心安らかなのだろう、と。

だが残された自分は、情けないことに迷ってばかりだ。
それもまた生きている人間の特権かもしれない。だけど苦しい。
どこまで自分は逃げるつもりなのだろうと獄寺は思う。もうこれ以上はどこへも行けない。
そんなぎりぎりの最果てが、母の眠るこの場所だったのだ。

(母さん、あんたがいてくれたら、オレはもっと違ったオレになってたか…?)
何もかもを持ち、欠けたところのない人間。
考えても詮無いことを考え、だがそんな想像の自分に大して興味を持てない事に笑った。

彼に、出会えない自分。
可哀想だ、と感じる。自分の中に可哀想などという感情があるのが驚きで、新鮮にも思った。


そんな風に生きるな、と声がする。
これまでの自分、彼に出会えたこと、仲間を得たこと、恋をしたこと。
その全てを台無しにしようとしている馬鹿がここにいて、だが世界の果てに立ち、今それを振り
返っている。
おまえはどうしたいんだ、と。


ひんやりとした山添いの風が獄寺の銀色の髪をかき乱していった。
だが嵐の守護者である自分にとって風は馴染み深いものだ。

『知ってる?嵐のいちばん真ん中は静かなんだってさ、獄寺くん』
いつだっただろう、彼がそう教えてくれた時の表情が鮮やかによみがえった。

いつも無茶苦茶な戦い方をする獄寺を諌めようと、ぽつりと告げられたその言葉に、どれほど
の思いやりや懸念が隠されていたのか。
こんな遠くへ来てしまって、初めて分かる。
彼がなにを心配していたのか。
嵐を体現するはずの自分が風に自由を奪われててどうすんだ、と揺さぶられるような強さで気
づいた。

ずっとずっと長くぐちゃぐちゃだった。
彼に好きだと言われた日から、自分らしさを失った。芯が澄まなくなった。
風に巻かれ、感情を濁らせ、逃げることでいつかはあの人の想いを退けることができると思った。

自分に自信がなかった。
どうして、ただの獄寺隼人が好きだと言ってもらえるのかが分からなかった。
“右腕”とか“守護者”という建前は、ひどく自分を安心させた。
彼の傍にいられる理由が明白だったからだ。
役に立つ、守れる、だから傍にいてもいい。その決まりを壊されるのがたまらなく怖かった……



どれぐらい母の墓の前で立ちすくんでいたのだろう。
背後からサクサクと落ち葉を踏みしめる音が近づいてきているのに、はっとした。
殺気は感じなかったが、腑抜けている自分が恥ずかしくなり強い視線で振り返る。

「よお、スモーキンボム」
だがそこに立っていたのは、意外な、しかしよく見知った人物だった。
「跳ね馬…なんでここに」
いつもは大きなファミリーのボスとは思えない軽装のディーノだが、今日は黒のスーツをきちん
と着込み、大きな白百合の花束を携えていた。
会話は聞こえないだろうが、そう離れていない距離に側近のロマーリオの姿も見える。

「なんでって…オレも一応キャバッローネのボスだしな。お前の親父さんとは面識あるんだぜ」
獄寺の問いに微妙に答えているようでいない事を言い、ディーノは持っていた花束を墓標の
上に置いた。
そのまま頭を垂れて、祈るように目を閉じる。
黒衣に金髪の青年が墓の前に立つ姿は様になりすぎていて、まるで映画のようだった。


だがやがてディーノは顔を上げ、花に埋もれるように置かれた写真を手にとった。
そこに写し込まれた親子の情景に目を細める。
「綺麗な人だな。そんで、お前のことが可愛いくてたまらないって顔をしてる」

「お前はこの人に愛されて、ツナに愛されて、何を足りないものがあるって思うんだよ?」
「…っ」
「もうとっくに満たされてるくせに、愛し返さないのはズルイんじゃねーか。獄寺隼人」
ディーノの声は静かだったが、自分の弱さにとどめを刺されたようで獄寺は目をつぶった。

痛くて痛くて。
だが、それが真実だった。
あの人が欲しがったのは、友達でも部下でも右腕でもなく。
それがどんなに汚れていて弱くて情けないものでも、きみが好きだとそう言ったのだ。
(10代目…10代目……)


涙がどうしようもなくこみ上げてきて、獄寺はディーノに背を向けてそれを必死で堪えた。
背後で苦笑するような気配がしたが、無視しておくことにする。
弱みを握られたようで、かなり悔しくもある。

「おせっかい野郎が…」
「まあ、そう言うなって。ツナがオレと何度も連絡つけようとしてんだ。アイツ、たぶんイタリアまで
お前に会いに来る気だぜ」
「10代目が…!?」
「だからどこに逃げたってムダだし、もうそろそろ素直になったらどうかと思ってな」

ああもう、あの人は。
目元をごしごしやりながら考える。普段は気弱なくせに、一旦決めたら意志を貫き通す。
もう何週間も連絡ひとつよこさない、帰って来るのかも分からない自分を思い続けてくれる。

眩しいほどの大空を見上げた。
こんなに離れていても、同じ空で繋がっていると信じられるのは何故だろう。
ツナの想いをディーノが届けてくれた事で、ふいに獄寺の中で全てが澄んでいった。
会いたいと思われている。
じわっと抑えていた本当の気持ちが溢れだした。

(会いたいな。10代目にお会いして……叱られて、たくさん謝って、それから…)
(もう二度と、お傍を離れません、て)
(誓いを)


「会いたいか?」
背後からのディーノのからかうような声に、「うるせえな!会いてえよ!!」と獄寺は怒鳴った。
「じゃあ、可愛い弟分にクリスマスプレゼントだ。受け取れ」

驚いて振り向くと、航空券が差し出されていた。
「オレはこれから日本へ向かう。ガキどもと沢田のママンにプレゼントを渡しに行こうと思ってな」
「サンタ気どりかよ」
「そういうことだ。だからサンタの橇にお前もついでに乗せてってやるよ」

ディーノから航空券と母の写真をまとめて手渡された。
…ありがとな、と口の中でぼそりと呟けば、ディーノはちょっと得意げに笑ってみせる。
いたずらの成功した子供みたいな顔だった。
だが最後の最後に、とん、と背中を押し出してくれたのは確かで、何か照れくさくてならない。

「まだ時間あんのかよ」
航空券をチェックし、ロマーリオの背後に黒塗りの車が止められているのを見ながら問う。
「ああでも、そんなに余裕ないぜ?荷物まとめるのか」
「荷物なんかどうでもいいけどよ、親父に謝らなきゃなんねーだろ」

ようやくらしい顔つきになった獄寺は、母親の墓標にかがみこみ「行ってくる」と囁きを落とした。
そしてもう振り返らずに、父親のいる城へと歩み出す。
「律儀なヤツ…」
まあそれだけ大人になったって事か、とディーノは自分も若いくせにそんな風に考えた。

すべてのしがらみも退路も断てば、初めて自分の本当の望みが形を成す。
(後はもう走っていけよ)
自分の家庭教師でもあったリボーンを納得させるまでは、まだまだ山あり谷ありだろうけどな、
とは思うが。
すべての幸いの前には、瑣末なことだ。

貴女もそう思うでしょう、と心の中で話しかけ、ディーノは早足で獄寺の背中を追っていった。







家から一歩外に出ると、空は重い雲が垂れ込め、耳がキンとなるぐらい寒かった。
ああ、手袋忘れた…とぼんやり思い、ツナは自分の指をこすり合わせる。だが、取りに戻ろうと
いう気持ちにはなれなかった。

(雪、今夜降るかもしれないってニュースで言ってた…)
クリスマスイブからクリスマスにかけての夜に雪が降るなんて最高の演出だ。
実際、今夜沢田家に集まったいつもの面々は、当たり前だがみんな楽しそうにしていた。
リボーン、ビアンキ、ランボ、イーピン、フゥ太、山本、笹川兄、京子、ハル、それに母も。

以前は、母の用意してくれたクリスマスケーキをもそもそと食べるだけだった。
そんな味もそっけもない自分の姿をまだハッキリと覚えているのに。
家に好きな人ばかりが集っているあの空間で、楽しくなれない自分が嫌だった。

でも楽しくなんかなれるはずがない。
獄寺がいない。いちばん好きな人の顔を見て声を聞く、それだけのこともできない。

獄寺が帰ってこない……
厳しい現実を突き付けられて、ツナは情けなくも泣き出したくなった。
あの日、ビアンキと話してから、どんな事をしてでもイタリアに行って彼に会おうと決めたのに。
頼みの綱のディーノがまったく捕まらなくなったのだ。


何度か電話をした。日本語ができる顔見知りの部下に、連絡をつけてくれるように頼んだ。
だが何か極秘の動きでもしているのか、ボスは当分捕まりそうもないと困ったように言われて。
そうなると強くは出られない。
ディーノは大きなマフィアのボスなのだ。仕事もあれば付き合いもある。
危険を伴う行動をしているなら、下手に介入すれば彼の命にかかわるかもしれなかった。

いつも弟分だと親切にしてくれるディーノが急に遠い人に感じられて。
そのせいで、獄寺がもっと手が届かないような存在に思える。
もともと住む世界の違う人だった。
何のとりえもない、普通の、普通以下の日本の中学生が友達だとか好きだとか、馬鹿げてる。

ものすごく自分が身の程知らずに思えて、ツナはぐしっとこみ上げた涙をぬぐった。
「寒…」


あの楽しげなクリスマス会にどうにも馴染めず、笑顔も浮かばず、台所にふらりと立ち寄ったら、
ハルと京子が飲み物が足りないと話していた。
ここから抜け出す口実になると思った。
だから「オレが買いに行ってくるよ。外は寒いし、二人はここにいて」と言い、母から財布をもぎ
取るようにして、息苦しいあの場所から逃げてきた。

でも、大勢でいても寂しかったのに、一人になればもっと寂しい。
自分の気持ちを誤魔化すこともできなくなる。
獄寺は今何をしているのだろう。
イタリアの城で華やかなクリスマスパーティの主賓を務めているのだろうか。
きっと彼にはそういう場所が似合っていて、こんな地味な日本の町で暮らしていた事の方が
間違いだったのかもしれない。

(でも、獄寺くんは)
だが、イタリア時代のことを話したがらない彼に、楽しい思い出がない事も分かっていた。
オレの事なんかどうでもいいっすよ、と笑い、ツナの知りたいことをいつも教えてくれなかった。
そんな獄寺を、想う。
ポケットに手をつっこみ、なるべく自虐的にならないようにしながらツナは考え、歩いた。
そうだ、彼は並盛で暮らして楽しかったはずだと。
それだけは見誤ってはいけない。


いつの間にか最寄りのコンビニまで来ていたが、煌々と明かりのついたその店に入ってゆく気に
どうしてもなれなかった。
飲み物買わないとどうすんだよ、と自分を叱っても、歩みはそのまま止まらない。

ポケットの中には携帯と、携帯に結びつけた大事な鍵があった。
指先でつるりとしたその鍵に何度も触る。
自分がいない間、一人になりたくなったらあの部屋を使っていいですよ、と獄寺は言った。
それは信頼であり、戻ってくるという約束じゃなかったのだろうか。

自分がそう思い込みたいだけかもしれないけど、この鍵に触るとまだ諦めなくていい気がして。
ツナはふらりと方向転換する。
獄寺がいないのは分かっていたが、初めてあの部屋に行ってみたいと思えた。
もうどうにも獄寺不足で、何でもいいから彼に関係のあるものに触れたくてたまらなくなって。

行こう、と一旦決めたら足取りも早まった。
うなだれていた頭もあがる。
誰かが見たら、大好きな人に会いに行くんだと思われるかな、とツナは少しだけ笑った。

今日は聖夜だから、そんな誤解をされたって全然かまわなかった。
そんな奇跡が自分にも起こればいいのに、と夢見るように思いをはせて、冷たい空気の中を
急ぎ足でいった。







「てめーら、パーティの真っ最中に10代目に使いっぱしりさせるってどういう料簡なんだよ!?」

沢田家の玄関で、何より先にそう喚きはじめた獄寺を見て、山本もハルも京子も目をみはった。
背後ではサンタコスプレをして巨大な袋を担いだディーノとその部下が笑っている。
何週間もイタリアに行っていたというのに、獄寺はほとんど身ひとつで突然の登場だった。

「わあ…イキナリ帰ってきた人にそんな事言われたくないですねえ…」
白目を向けながらハルがそう言えば、慌てて玄関に出てきた笹川兄も「そうだぞタコヘッド!皆
お前がいつ帰るかと心配してたのが分からんか」と諭した。
さすがの獄寺もその言葉にはうなだれ、自分を出迎えてくれた人々を恐る恐る見やる。

すると京子がいつもの明るい笑顔を浮かべて、「おかえり、獄寺くん!」と言った。
「クリスマスパーティ終わる前に帰ってきてくれてよかった。ツナくんきっと喜ぶよ」

同時に獄寺の左右の肩に、山本と笹川兄ががしっと抱きつくようにする。
両方の手で背中をばんばん叩かれ、「いってーよ!」と言ったものの、うれしかった。
男二人に暑苦しく抱きつかれたまま、獄寺は目の前にいる人々が自分を待っていてくれたのだと
知る。
それは多分、『根を張った』ということかもしれなかった。

自分の居場所はここにしかない。
仲間が集い、笑ったり泣いたり怒ったりして、その誰が欠けてもいけない。
(そしてその真ん中にあの人がいる…)
そんな彼を独占していいのか、まだ不安も残っていたが、獄寺はまず迎えてくれた人々に言った。
「悪かったな、心配かけて……その、ただいま」

はは、と耳元で笑い声がして、山本はやっと獄寺を解放し、改めて顔を見てきた。
「あー…やっとらしい顔になったんじゃね。イタリア行ってきてよかったみたいだな、獄寺」
「そう…思うか」
「ああ、そう思うぜ」

いつも能天気そうに見える山本だが、存外にするどい所のある彼がそう言うのだ。
逃げるばかりに思えたイタリア行きにも意味があったということか。
いや、意味があるかないかは、今後の自分がどうなるかにかかっていた。
10代目を悲しませた、それに見合うだけの自分になっていけるだろうか、改めてそう思う。


「10代目、飲み物買いに行ったんだよな?あそこのコンビニか」
「んー…でも実はツナさん出かけてからかなり時間たってるんですよね」
「そうだよね、寒いから私とハルちゃんの代わりに行ってくれるって言って…どこまで行ったん
だろう、ツナくん…」

ハルと京子の言葉に、獄寺は急に不安にかられ始めた。
それを察したのだろう、背後のディーノが「お前はツナを探しにいけ。みんなはクリスマスパーティ
続行だ。プレゼント配るからな」と言い、背中を押してくる。
感謝の一瞥をディーノに投げると、獄寺は弾かれるように外へ飛び出していった。
後に残された面々は、安堵の入り混じった苦笑をそれぞれに浮かべる。

「あーもう!あの二人、いいかげんにしてほしいですよね」
ハルが拗ねたような口ぶりで言った。それはどこか切ないような響きでもあったが。
「もうずっと前から両想いのくせに……ムカつきますよ」
自分の中の想いに整理がついていないのだろう、眉をハの字にして俯くハルの肩を京子が抱く。


誰かを好きになるというのはいい事ばかりきれい事ばかりではなく。
その裏で傷つく人や報われない人がいる。
言葉にできないほどの気持ちも、すべてが昇華するわけじゃない。

好きな奴に好かれるって奇跡みたいなモンなんだな、と山本は考えた。
まだまだ自分には不似合いで縁遠い話だと思いながらも、少し羨ましくもあった。

この寒空の下、どこかで獄寺のことを考えているツナも。
一瞬も躊躇わずにツナのいる場所へ駆け出していった獄寺も。
次に会う時は笑っているといい。二人そろって笑っていてくれたら、それが見守っていた自分たち
への最高の報いだ。

(クリスマスなんだ。あいつらの願い、叶えてやってくれねーか)
サンタなのか神様なのか、よく分からない相手に勝手な願いをかける。
そして山本は、ディーノの部下の持っていたプレゼントの袋をひとつ受け取ると、暖かな部屋へと
戻っていった。







最初は『並盛にこんなお洒落なとこあったんだ…』と腰が引けていた獄寺のマンションだったが
ツナは覚えていた暗唱番号を打ち込みエントランスに入った。
そのままエレベーターに乗り、5階を目指す。
彼の住むマンションはファミリー向けのやたら立派なもので、ひとつの階にドアが3つしかない。
一戸の広さは言わずもがなだ。

エレベーターから出るとまた戸外の空気が冷たく頬に当たった。
一番奥の獄寺の部屋のドアの前で、立ち止まる。

だが、ここまで来て怖くなった。鍵はあるのだ、寒いし中に入ればいい。
それでも中に誰もいない事、中は真っ暗であろう事も分かっていた。
急に気持ちが高揚してここまで来てしまったが、我に返れば何しに来たんだろう、オレ…と思う。

そのままドアに背をついて、ずるずるっと座り込んでしまった。
こんな所に長くいたら凍死までいかなくても絶対に風邪ひくなー…とぼんやり思ったが、立ち
去る気にもならず、ポケットをさぐる。
取り出した携帯に繋げた銀色の鍵。

今自分に残されたのはこれだけで、この鍵の持つ意味は大きいのかな小さいのかなと思う。
(待ってていい奴が持つものだって信じてた、けど…)


ぐし、とまたすすり泣きを堪えたツナは、両手の中で携帯が急に震え出したのに心底驚いた。
「うっわ!?」
驚きすぎて携帯を取り落とす。硬質な音をたてて落ちた電話はそのままコンクリートの床の上で
震え続けた。
(ヤバイ、もうかなり時間たってるよ。家の方、誰か心配してるのかも!)

涙の膜でかすんだ目で、相手を確認もせずに通話ボタンを押す。
「……はい」
「10代目!!オレです!今どこにおられるんですか!!?」

いきなり耳元で喚き始めた馴染み深いその声に、ツナの頭の中は真っ白になった。
「え…」
「え…じゃなくて、どちらにおられるんです!?」
「ごくでら…くん…?」
「はい、オレです。獄寺です」

いやあの、なんだろうこの人。何でフツーに名乗っちゃってるんだろう。どうなってんのこれ。
硬直しきった思考の中でツナは考えた。必死に考えた。
何週間も連絡ひとつ寄こさずにいたくせに、第一声がこれなのか。
なんかもう、とにかくいろいろひどすぎる。
獄寺に対し、まずふつふつと湧きあがってきたのは、抑え切れないような怒りの感情だった。

「なんなんだよ!?なにやってんのきみ!!?」
「えっ…オレっすか…?」
「どこにいるってそんなの聞きたいのオレの方だよ!どこにいんの。イタリアからかけてんの!?」
「い…いやあのですね…10代目…」

掠れた声で怒鳴りつけた途端、ぶわっと涙が溢れだした。吐きだす息が真っ白い。
怒っていたけど、でもそれは安心の涙だった。
獄寺が電話をくれた。
電話をくれたということは、少なくとも何も言わないまま二度と戻らないわけじゃないって事だ。
繋がっていると信じてきたものは、今も繋がってるってことだ。

「ごめんなさい、10代目、ごめんなさい。泣かせちまったんですね、オレ…」
「いっぱい泣いたよ。今も泣いてるけど!獄寺くんいないんだから当たり前じゃん!!なんだよ、
獄寺くんのばか!!」

怒ってキレて恥ずかしげもなく今も泣いてるとか言うと、本当にすっとした。
ずっとずっと心に澱のようにたまっていたものが、声になり、涙になり出ていってくれる。
自分が澄んでいくのをツナは感じた。
獄寺はこういう人で、だけどそんなとこもひっくるめて好きになった。
重症だ。もうほんとに手がつけられない。

「獄寺くん…」
「はい、10代目」
「今日、日本はクリスマスイブだよ。オレさっきまで家のパーティにいたんだけど、賑やかなのが
余計に寂しくて出てきちゃったんだ」
「そうだったんですか…」
「お使いに出たんだけど、なんか…何でだろ、獄寺くんのマンションに行きたくなって…」
「……!オレん家ですか」
「うんでも、獄寺くんいないの分かってるから、鍵開ける気にならなかったんだ」

放っておくとまたぼろぼろと零れてくる涙をごしごしぬぐう。
もうきっと頬も鼻もまっかになっている。
それでも見上げた空は、雲が厚く広がっているのにさっきよりもきれいに見えていた。
世界が、顔を洗ったみたいだった。


「オレさ…獄寺くん…」
「はい、10代目」
「きみを好きになった事はいけない事だったのかなって何度も何度も考えたんだ。きみは本当に
辛そうだったから…」
「……」
「でもきみを好きだって言ってるのは“ボンゴレ10代目”じゃないんだよ。ただのなんにもできない
ダメツナ。自分でもあんまりいいとこの見つかんない沢田綱吉なんだ」

「でも、オレを待っていてくださる」
「うんそう、待ってた。今も待ってるんだ。会いたいよ…」

ああ、よかった。獄寺くんちゃんと分かってくれてるみたいだ、とツナは安堵のあまりぼうっとした
頭で考えた。
変わらずにずっと待ってるって、今夜伝えられただけでもよかった。
やっぱたいていの子供はプレゼントが貰える日だからいい事が起るんだな、と涙をためたまま
少しだけ笑う。

「オレ、きみに会いにイタリアに行こうって思って…だけど力になってくれそうなディーノさんが
何か捕まらなくなっちゃってさ。他に方法がなくてまた落ち込んじゃってたんだよ」
「跳ね馬っすか…オレあいつに向こうで会いました、けど…」
「そうなんだ…」
「あいつ、10代目がオレに会いに来ようとしておられるって教えてくれて」
「そっか、それで」

ようやく合点がいった。ディーノは獄寺を直接説得しに行ってくれたのだ。
自分たちを“大事な弟分”と呼ぶあの人は、何も言わずにこうやっていつも優しくしてくれる。

「だから獄寺くんオレに電話くれたんだ。ディーノさん、サンタみたいだね」
「そうっすね、あいつ皆にクリスマスプレゼントを届けるって言ってましたよ」


遠くでチン!とエレベーターの音がした。誰かこの階の住人が帰ってきたのだ。
こんなとこに座り込んでたらヘンな人だと思われるかな…とツナは軽く身を起こした。
おかしなぐらい慌てた足音がする。
それを不思議に思ったと同時、遠く通路の向こう側に、ツナは息せききった獄寺の姿を見ていた。

「え……?」

じゅうだいめ、と声がした。
頭の中で、なんでなんでなんで?と疑問ばかりが渦を巻く。
だが最初都合のいい幻みたいに思えたその姿は、あっというまに距離を詰め、気がつけば座り
込むツナを見下ろしていた。
(ほんものの、獄寺くん)

「な、なんで…?なんでイタリアなんじゃ獄寺くんなんで……っ!?」
みっともなくひっくり返る声。
今のいままで、イタリアにいる彼と話しているのだと思いこんでいた。
それで充分だと、奇跡みたいだと思っていた。
だけどそれは我慢にすぎなくて、本物が目の前に現れれば強がりなど薄いガラスみたいに砕ける。

ツナの琥珀色の瞳に新しい涙が溜まり、獄寺の姿がゆらゆらした。
消えてしまいそうで怖かった。
手をのばした。伸ばしても決してとってもらえなかった手が、一回り大きい手で包まれた。
夢をみているようだった。


「手袋、忘れたんすか。こんな冷たい手になって…」
泣きじゃくるツナが子供のようで、どれだけ彼を傷つけてきたかを獄寺は思い知る。
氷のような彼の手を自分の両手で包み、指先でマッサージするように擦って、体温を分けていった。
そうすることが自然で、自分は何をためらってきたのだろうと思う。

ごくでらくん、ごくでらくん、とか細い声が何度も呼ぶから、はい…はいここにいますと繰り返した。

そのうち胸がいっぱいになってきて、獄寺はツナの背にそっと腕を回し、抱きよせてみた。
抵抗されるのが少し怖かったのに、引き寄せられた途端、手をほどいたツナは獄寺の胸に必死で
抱きついてくる。

ぎゅう、と抱きしめられて、何かがはじけた。
体温とすすり泣く声と自分を抱く力が、こういうものが全て 『好き』 なのだと。
分かった。
彼は最初からこういうものを自分に与えてくれようとしていたのだと。
それは特別な人にだけあげられるもので、特別な人からだけ貰えるものだった。

(オレが馬鹿だから、こんなに傷つけた)
(ごめんなさい、オレを赦してください、10代目…)

そう言いたかったのに、獄寺の口からも言葉はひとつも出てこなかった。
しがみついて離れようともせず泣くツナをぎゅっと抱き返すと、獄寺の灰碧の瞳にも涙があふれて
滴り落ち、頬を濡らしてゆく。

涙って熱いものなんだな、と二人は意識の片隅で同じように考えた。
だがそれもいつの間にかかき消えて、ツナと獄寺は声をあげて泣いていた。
たくさんのすれ違いや意地や自分勝手も、距離をなくした今は何の障害にもならなかった。

だから二人は深い安堵に包まれて涙を零した。
生まれたばかりの生き物のように、それしかできないというように、相手を抱きしめ続けた。







最初の激情が収まってみるとツナは、自分がひどい顔をしてるだろうなと思わずにいられなかった。
そもそも元から泣いていたのだ。
だから見られるのが恥ずかしくて俯いていたが、獄寺は笑いながら覗きこんでくる。
なーんかスッキリした顔しちゃって、と呆れたように思った。

「ディーノさんがきみを連れて帰ってくれたの?」
「そうです。サンタの橇に乗せていってやるって言ってました、あいつ」
「そっか…じゃあ獄寺くんはクリスマスプレゼントだね…」

そう言うと獄寺はまた嬉しげな笑顔になる。
それは今までの、どこか遠慮したり一定の距離を置こうとしたものとは違って見えた。

ああ、オレも獄寺くんも、新しいやり方が分かったんだ。
ツナはそう思い、獄寺の瞳をまっすぐに見つめた。
それを確認して、始める。
今までと似ているけど新しい関係を、これから二人で創り出してゆく。その時がきたのだ。


「……オレと離れてみて、答は出た?」
「はい、10代目」
「オレの答ももう出てるよ、獄寺くん」

おそるおそる手を伸ばし、獄寺の頬にそっと触ってみた。
かつては拒絶されていたであろうそんな行為も、すんなりと受け入れられる。
(ああ、こんな風に獄寺くんに触るの、はじめてだ)
獄寺はツナにもっと近づきたいとでもいうように、少し首を傾けた。
口元が優しいかたちに弧を描いて、彼はその時、本当に幸せそうに見えた。

「きみはオレの大切な友達で…」
「貴方は、オレが最期の瞬間までお仕えするボスで…」

自分たちの間に横たわっていた相反するルールを認める。
もともと確かに二人の間に在ったものだったのだ。
それを受け入れようとしないから、自分たちはすれ違い、一度は遠く離れてしまった。

だが嵐は静まり、大空へと還った。
後には、虹がかかる。
新しい、美しい在り様が、ふたりの間に生まれようとしていた。

「それで、きみはオレの」
「貴方はオレの」

「「世界で一番大好きな人」」


声を重ね想いも重ねて、同じ場所へと辿りつく。
これでいいんだ、という深い安寧。
分かち合い、譲り合い、だが自分の想いを貫き通すことが本物の愛だった。
まだ幼いながらにそれを知ったふたりは満足そうに微笑みあい、またぎゅっと抱きしめあう。



「なんかさーこんなとこで座りこんでオレたち何やってんだろうね」
「…っ!そうでした!10代目こんなに冷えきっておられるのに」
「いやまあ、獄寺くんとくっついてるしあったかいよ」

そう言葉にする端から、全部が白い息に変わってゆくのをツナは不思議な気持ちで見つめた。
むき出しのコンクリートの上に座って、大好きな人とぎゅうぎゅう抱きあっている。
今は、動きたくなかった。

寒い寒い冬の夜で今しも雪が降りそうなのに、目を閉じれば瞼の裏に虹が見えた気がした。
がんばってがんばって、何も失わない未来を選んだ自分たちを祝福してくれる。

これから周囲に認められていくのは大変だろうけど。
(きみがいる)
そう思ったら勇気がでた。


「そうだ。忘れるとこだったよ。獄寺くん、メリークリスマス!」

至近距離でそう告げると、獄寺の唇が同じ言葉を紡ぎながらツナの唇にそうっと触れてきた。
優しい、ためらいがちな接触。
静かに目を閉じ、ツナはそれを驚きもせずに受け入れた。

短いくせに長い、永遠のような瞬間だった。